2011年3月30日水曜日

4月3日(日曜)、公開対談 @ 青山ブックセンター


今度の日曜日、ちょっと変わった公開対談があります。

青山ブックセンター本店で3月中旬より開催するフェア「東京をフィールドワークする」。この連動企画として、もっと掘り下げるトークショーが実現しました。
ゲストには、「東京スリバチ学会」でも知られる、ランドスケープアーキテクトの石川初さん。「東京」をテーマの小説も多く書かれている、大竹昭子さん。東京の居住空間を集めた写真集『TOKYO STYLE』でも知られる都築響一さん。
住まいである東京、遊びに行く東京。歴史も地勢も、少し知るともっと楽しい東京歩き。街のでき方を、分かりやすく面白く。映像も参照しながらお話いただきます。
トークショーを聞いたあとの家へ帰る道のりは、いままで気づかなかった新しい視点を持って歩いていることでしょう。 (公式ウェブサイトより)

というわけで、東京をすごく真面目に考えているおふたりと、すごく不真面目に考えている自分の3人で、どんなお話になるやら・・・まだ席に余裕あるそうなので、書店のウェブサイトよりお申し込みください!

http://www.aoyamabc.co.jp/event/tokyo-filedwork/

プリンツ21:当世とりかえばや物語


今回のコスプレイヤーお宅訪問企画は、漫画家の一本木蛮さん(写真上)と、人妻官能小説家(!)の開田あやさん。我が国のコスプレ史を切り開いてきた、超ベテランのおふたりです。さすがに10代、20代の女子には真似できようもない、オトナの色香がページから漂ってきますよ!


東京右半分:女装図書館

買い物客で賑わう上野御徒町から、蔵前に向かって東に歩く。地下を都営大江戸線とつくばエクスプレスが走る春日通りを10分ほど歩けば、そこが以前にこの連載でも紹介した、「金沢・片町商店街に続いて日本で2番目に古い商店街」でありんがら、ぜんぜん賑わってない佐竹商店街だ(2010年11月12日)。

昭和のまま時間が止まったような商店街を南に抜けてすぐ、清洲橋通りに面したマンションの4階に、去年8月にオープンしたばかりなのが『女装図書館』。昔ながらの秘密めいた女装クラブでもなければ、もちろん風俗でもない。若い世代の女装子(じょそこ)、男の娘(こ)たちがもっとオープンに、気軽に集まって遊ぶためのしゃべり場、ベースキャンプなのだ。


ごあいさつ

女装をする人が、気軽に使える居場所。
女装して本を読んだり、
勉強したり、お話したり、
ただ、ぼーっとしたり。
じっとするのが苦手な子は
待ち合わせして、お出かけしたりも。
様々な人・もの・情報が集まる図書館という施設を
女装する人たちのためにつくりたいと考えました。
(公式ウェブサイトより)

図書館の司書、と呼ぶにはずいぶんラブリーな辰木ひかるさんに、お話をうかがってみた。

東京スナック飲みある記


閉ざされたドアから漏れ聞こえるカラオケの音、暗がりにしゃがんで携帯電話してるホステス、おこぼれを漁るネコ・・。東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう場所。

東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。毎週チドリ足でお送りします。よろしくお付き合いを!

第8夜:豊島区・池袋駅東口

1969(昭和44)年にリリースされたミリオンセラー、青江美奈の最大のヒットとなった『池袋の夜』を聴いたことのないひとはいないだろうが、そのヒットに乗じて同年中に日活から2本の映画が急遽(たぶん)制作されたことを、覚えているひとがどれくらいいるだろうか。ひとつは和田浩治主演の『女の手配師 池袋の夜』、もう一本が小林旭と山本陽子による『夜をひらく 女の市場』。こちらは69〜70年にかけて、矢継ぎ早に封切られた『女の警察』シリーズ中の作品とされている。

劇中、安アパートに暮らす旭と陽子が、「たまには遊びに出るか」と池袋のキャバレーに繰り出すのだが、そのインテリアが、ふつうのテーブルと椅子の代わりに、小さな座敷というか桟敷席が、太鼓橋でつながっているというとんでもないデザイン。フロアでしっぽり踊るふたりの背後では、ラメのドレスに金髪キラキラの青江美奈が『池袋の夜』を熱唱。そのねじれきったエキゾチシズムに、場末の名画座にいた僕はしびれるような視覚的快感を味わった思い出がある。こういう空間、こういう空気は、もちろん銀座でも、渋谷でも新宿でもない、池袋でしかありえないと、盛り場のことなんてなにもわかっちゃいなかった高校生ですら納得する、そういう独特のニュアンスが、池袋という街には染みついてきた。

1969年と言えばウッドストックが40万人の若者を集め、ローリングストーンズを抜けたブライアン・ジョーンズがプールで溺死した年だ。そういうサイケデリック絶頂期に、これほどアナクロな音楽と、アナクロな空間が似合う街は、池袋をおいて他にあっただろうか。

いまでこそ新宿、渋谷と並ぶ巨大ターミナルとなった池袋だが、明治時代から戦前までは東京市街の外縁部に位置する、のどかな農村地帯だった。その村おこしの一環として招致されたのが巣鴨監獄であり(のちに巣鴨刑務所→巣鴨拘置所→巣鴨プリズン→東京拘置所と改称されたのち、1978(昭和53)年にサンシャインシティに生まれ変わる)、監獄の他にも避病院(伝染病専門病院)、脳病院、精神病院、養育院、廃兵院、墓地、貧民窟などの、いわゆる迷惑施設が一帯に集められていた。

そうした池袋の”負のイメージ”を一変させたのが第二次大戦だった。アメリカ軍による空襲で、豊島区はその7割が消失したと言われ、池袋は東西とも駅前に巨大な空き地が出現した。その空き地に終戦直後から出現したのが、”○○マーケット”と称される闇市である。

上野、新宿など東京各地に出現した闇市のうちでも、交通のハブでありながら駅前に巨大なスペースがあり、池袋から延びる武蔵野鉄道(現・西武池袋線)、東武東上線の沿線が比較的戦災被害の軽微だったことや、進駐軍の基地があったことから、物資が集まりやすかったことなどもあって、池袋の闇市は最盛期には13ヶ所、店舗数で1200軒以上にのぼるという、一大闇市エリアとして空前の活況を呈するようになった。

1948(昭和23)年、バラック造りの長屋式店舗が連なる池袋駅東口前のマーケット(闇市)。
1947(昭和22)6月の時点で、池袋の東西には1200軒以上の店舗があったと言われている
写真提供/東京都建設局

今回訪ね歩く池袋東口エリアにも、駅前の「森田組東口マーケット」を始めとして5つのマーケットがあったとされているが、1949(昭和24)年から51年にかけて撤去されたマーケットの店舗が、移転して形成するようになったのが、『池袋の夜』にも歌い込まれた人世横丁や美久仁小路などの飲み屋横丁だ。

駅前がすっかり美化されてデパートだらけになっても、拘置所がサンシャインシティに生まれ変わっても、”横丁”のあるかぎり池袋の場末ムードは消え去ることなく、ディベロッパーにとっては頭痛の種、飲み助オヤジにとっては昭和のムードを満喫できる聖域として、あのバブル期をも生き延びてきたのだったが・・気づいてみれば2008(平成20)年には人世横丁と、ひかり町通りがあっというまに更地となってしまい、人世横丁跡はいま高層複合ビルが建設途中、ひかり町は一時「ラーメン名作座」という、別にここじゃなくてもいいだろうという感じのラーメンパークになったあと、それも壊されて駐車場のまま(このあと大型アミューズメントセンターが出店予定)。2011年春現在で残っているのは美久仁小路と栄町通りのふたつだけである。

1957(昭和32)年の池袋駅東口。東口のマーケットは
1951(昭和26)年には姿を消し、巨大なロータリー広場になった。
奥に見える建設中の建物が三越池袋店で、このころから東口はデパートラッシュに
わくようになる(三越池袋店は1957(昭和32)年開店、2009(平成21)年閉店、
51年間の歴史に幕をおろした)
写真提供/豊島新聞社

闇市時代の跡形もない現在の池袋駅東口前広場。
大震災後の節電のため、ふだんよりかなり暗くなっている

東口駅前からサンシャインに向かう道が”乙女ロード”とかいうふざけた名前になり、チェーン居酒屋や漫画喫茶やカラオケボックスに群がる若者だらけのビル街になっても、残るふたつの横丁だけは、ビルの谷間でひっそり生き延びてほしいと願うのみだが、それも時間の問題だろうか。ここでもまた、昭和の空気感が消し去られてしまう前に、今夜は横丁と周辺のスナックをハシゴしておこう。

来週は学芸大学を飲み歩きます。

サンシャインシティを仰ぎ見る美久仁小路の夜

グラフィティすらも、妙に同化させてしまう場末の強力な空気感

「通りぬけられます」と注意書きが探検気分を煽る

美久仁小路とともに生き残っている栄町通り


今夜の一軒目はサンシャインシティに見おろされるような美久仁小路の、スナック『大空』から。1970(昭和45)年に開業した『大空』は、ママの道子さんによれば「美久仁小路で最初にできたスナック」だそう。進マスターが池袋のクラブに勤めていた縁で開いた店だが、開店当時はカラオケ前のジュークボックス時代。カラオケが世に出だして、美久仁小路で初めて入れたのも、この店だった。「もともとスナックより小料理屋が多かったから、夜遅いのはうちだけで、夜半に足音がすると、だいたいうちのお客さんだったねえ」と、マスターは開店当時を振り返る。


美久仁小路に店を開いて、もう41年。1989(平成元)に、
通りを挟んだ向かい側から移転してきた『大空』


「店で野球のナイター中継を観ていたら、”どっちが勝ってます?”と、
撮影中の田中邦衛がふらりと入ってきたこともありました」という


左から木下進マスター、写真好きの看板娘みどりちゃん、道子ママ

戦後の風景が色濃く残っていたので、『飢餓海峡』(テレビ版)をはじめとする、映画やテレビドラマのロケ地としても、美久仁小路はよく使われてきた。「でも人世横丁が(なくなって)ビルになっちゃったでしょ。それで最近は、景色がかわって方向感覚がつかめなくなって、道に迷っちゃう常連さんもいるんですよ」とママ。会員制でフリーのお客さんは断ってきたけれど、「最近は不景気すぎて、そんなこと言ってられませんから、どなたでも大歓迎です!」ということなので、安心してドアを開けるべし。夏のあいだは「ドアを開け放して,暖簾を掛けてるんです」そうで、よけい入りやすいかも。
スナック 大空 豊島区東池袋1-23-5

マスターは友人がタニマチだった関係で、大相撲東京場所の千秋楽後の打ち上げにもしばしば参加する相撲ファン。カウンター正面の棚には、理事長時代の北の湖との記念写真が。弟子たちも北桜(現・小野川親方)をはじめお供で来店したとか。「赤坂や銀座ならともかく、こんな池袋の横丁に来るなんて……考えてみたらスゴいことだね」とマスター。「やっぱりカウンターには座れないから、奥のボックス席で飲まれていました」とママ


「パイプに付かまらないで下さい」という貼紙は、酔った女性客が用を足すときに、
つかまり過ぎて取り外し、水浸しになってしまったからだそう


トイレに飾られた『ちい散歩』に写る『スナック大空』の写真。
ママも気に入って、携帯電話の待ち受けに使用しているとか


「美久仁小路には柳の樹が風にそよいで、本当にいい雰囲気だったのに、
いつの間にか切られちゃって、それからこの小路の風景も変っちゃったのよ」とママは嘆く

L字型になった栄町通りの、内側を「裏通り」、外側を「表通り」と呼ぶそうだが、その栄町表通りに店を開いて今年7月で43年目、栄町きっての老舗スナックが『スナック&御食事 タロー』である。ガラス張りで明るいたたずまいは、いわゆるカラオケスナックというより、パープル・シャドウズの『小さなスナック』の雰囲気。奇しくも歌と同じ1968(昭和43)年に開店だという。

栄町通り入口のたたずまい

一見、喫茶店のようにカジュアルな雰囲気。ちなみに『タロー』という店名は、
美人姉妹の店からそのまま継承。最初は新しい店名にしようと思ったが、
当時日本で大人気だったフランスのシャンソン歌手、
イベット・ジローにあやかって、そのままにしたのだとか

いまは外観の色を変えたが、当時は外も中も真っ白だった。
ママによれば、まさに「♪白いとびらの小さなスナックだったのよ」

鹿児島県蒲生町(現・姶良市)出身の東村馨(かおる)マスターと、荒川区尾久出身の幸江(ゆきえ)ママが始めた『タロー』だが、その前は「美人姉妹がやってたスナックだったんですよ」とママ。「それで大変な人気だったんだけど、相次ぐアフターの誘いに応えきれなくなって”疲れちゃったから辞める〜”と店を譲った先が、当時近くのゴルフ練習所で働いて、店にもお客で来ていたマスターだったの」。

今年で43年目の老舗店。ママは「シロウトながら」38年前から店を手伝うようになったとか

すだれ越しに、深夜の酔客を眺めつつ飲むのもまた一興


「食べてくれて、飲んでくれて、歌ってくれて、水商売のみんなが集まってくれていた」
と往時を懐かしむママ。「それがいまは、みんな店がヒマだから、すぐに帰っちゃうからね。
お客さんもアフターに誘う余裕ないし……」

栄町通りでもかなり遅い、深夜3時まで店を開けているが、去年5月からは「こんな不景気で大変な時代はないから」と、昼のランチも開始。もともと近所の店のマスターやママさんが、自分の店を終えたあとにお客さんと来たり、クラブのホステスさんたちがお客さんを連れてきたりで、夜中にママの手料理を楽しみに集まっていたそう。そう言われればメニューもかなりの充実ぶりだが、いまは基本的にマスターが昼担当、ママが夜担当。「このすれ違い生活が、とてもいいの(笑)」だそうです。
スナック&御食事 タロー 豊島区東池袋1-13-14 第一都ビル1F


黒板にはトーフステーキからカレーうどん、らーめん、
とろろまで、おいしそうなメニューが並んでいる

飲み屋横丁から帰る前に寄っておきたいのが、池袋駅東口からまっすぐに延びるグリーン大通りを渡った、横丁と反対側の一角。ビルの地下にある老舗スナック『パブ&スナック 純』だ。ホームページによれば「30年前の開店当時から変わらない看板と入口はかなり怪しい雰囲気ですが、中は広〜いです^^ 負けずにご来店くださいませ!」という、カウンター6席にボックス11卓、最大で50人は入れる大箱店だ。


昔の純喫茶を思わせないこともない、なんとも
ムードにあふれた『パブ&スナック 純』の入口






店内はご覧のとおりの大箱。お客さんは近辺の会社で働いている人が多いが、
歴史ある店だけに愛ママが勤める前、20年以上も通っている常連さんもけっこういる。
ホームページを見て来店する、新しいお客さんも増えてきているそう


ひとりのお客さんがゆっくり飲めるカウンター席


振り付けにも完全対応のダンスフロアを備えたカラオケ・コーナー


池袋、大塚、駒込に計4店舗の系列店をもつグループ店舗のひとつである『純』。人間に必要なものとして、社長さんがそれぞれ純(池袋東口)、和(池袋西口)、礼(大塚)、偲(しのぶ/駒込)に、いまはないが幸、愛(ともに大塚)とつけたのが、店名の由来だとか。








愛ママは転勤族の家族に生まれ、学生時代は関西に。バブル期にOLをしていたが、
「体を壊したんで昼の仕事をやめて水商売」の世界に入る。「でも女子大生のころに
新地(北新地)でバイトしてたから、経験はあったんです」。その後、錦糸町、池袋で
水商売の腕を磨き、純に入って今年で12年、ママになってもうすぐ4年というベテランだ


23年間にわたって初代のママを勤めていたあい子さん(左)も、プライベートでご来店


昼はカラオケ喫茶として営業しているだけあり、音響も本格的



これだけの大型店だけに、女の子も「現在23人が在籍。平日で10人、週末は少なくとも12人は出勤しています」と、3代目ママの愛さんが言うとおり、女の子たちの明るい声が響く店内は、クラブやキャバクラと間違えてしまいそう。でもカラオケ用の巨大なモニターとステージがカウンター脇にはセットされているし、昼間もカラオケ喫茶として営業中。もちろんお値段はスナック価格でリーズナブル。高いだけのキャバクラとか行くより、ぜんぜんいいです!
パブ&スナック 純 豊島区南池袋1-25-9 今井ビル地下1階



2011年3月22日火曜日

水木しげる on The New York Times


「アートが震災にどう貢献できるか」みたいな議論が各地で活発化してますが、3月20日のニューヨークタイムズ日曜版に掲載された、水木しげるの書き下ろし作品には、こころが震えました。

今回の掲載を橋渡ししたPRESSPOP GALLERYという版権マネージメントやプロデュースを行う会社のブログ記事によれば(http://www.presspop.com/)、「『今回の日本を襲った地震と津波による大災害についての水木さんの個人的な考察』を絵で描いてもらえないでしょうか?」というオファーがタイムズ側から来て、水木さんがすぐに応えてできたのがこの作品ということです。詳しくは、上述のブログをお読みください。

「みんなでひとつになろうよ」とか「いまわたしたちにできること」とか、感傷的なメッセージばかりがマスメディアでは垂れ流され、ほんとうに悲惨なシーンが放映も印刷もされない状況の中で、「地獄」とは、そして「救済」とはそんな生やさしいもんじゃないと、この右手が教えてくれるようです。第二次大戦という地獄を生き延びてきた水木さんだからこそなしえた、究極の表現ではないでしょうか。ブームとともに「好々爺」みたいなイメージが定着しかかっているこの老アーティストの、世界を見極める厳しい眼を見せつけられました。日本に、これを載せる勇気のある新聞は一紙もないでしょうけど。

ニューヨークタイムズでは、東浩紀さんの震災に関する寄稿も掲載しています。こちらのサイトで英訳される前の元原稿が読めるようなので、興味あるかたはあわせてどうぞ。http://d.hatena.ne.jp/hazuma/20110322

VOBO ぴんから体操 第5回




ニャン2史上に輝く伝説の投稿アーティスト、「ぴんから体操」の1992年から続く画業を辿る旅。今週はその最終回として、今回の記事制作の際に「発掘」された、彼の文章作品をご紹介する。

A4サイズの便せん14枚にわたって、びっしりと記されたエログロ大河ロマン。それはいままで我々が思い描いてきた、この知られざるアウトサイダー・アーティストの脳内宇宙を、さらに拡張するビッグバン・ストーリーだった。



おそらくは2000〜02年あたり、「ぬるぴょん」への移行期に書かれたと思われるが、あまりの長さに誌面での掲載が不可能だったこの大作によって、ぴんから体操という奇跡的なアウトサイダー・アーティストの全貌は、明らかになるどころか、ますます謎が深まったともいえる。


(『妄想芸術劇場』、来週火曜は第5週のためお休み、次回更新は4月5日です)

東京右半分:プライベート・ライブラリーを耽読する 1

本は欲しい、もっと欲しい、でも置けない、でも図書館行ってもロクなのない、とお嘆きの趣味人諸氏にとって、最強の味方となるのが私設図書館。実は東京、それも右半分にはピンポイントのテイストに絞った、そして多くは営利度外視の私設図書館=プライベート・ライブラリーがいくつもある。もしも自分の趣味にぴったりの、そんなライブラリーが見つかったら、もう自分で本を取っておく必要も、本棚に急いで突っ張り棒かます必要も、あらたに買いまくる必要もなくなる。読みたくなったら、行けばいいだけ。それはほとんど「だれか同好の士が、自分のために開いてくれてる書斎」だから。

墨田区千歳・眺花亭

谷根千と並んで、いまや下町ブームのメッカとなった人形町から、ひときわそびえる明治座ビルと隅田川を挟んだ対岸の墨田区千歳。こちらは河岸にマンションや倉庫が建ち並び、ブームとは無縁の静かなエリアだ。

隅田川を見おろすマンションの5階に、2009年1月オープンしたのが『眺花亭』。名前はお茶室か懐石料理店を思わせる風雅な響きだが、ここは「落語等の大衆芸能、音楽、東京の町歩き、酒場、喫茶店についての資料」を集めた、いかにも下町らしいと言えば下町らしいテーマの私設図書館なのだ。




 築45年というマンションの一室ではあるが、コレクションは「本4000冊、雑誌1600冊、CD750枚、LP300枚」という、なかなかのもの。これくらい持ってるというひともいるでしょうが、これだけの本や雑誌を家に置いといたら、そうとう家族に嫌がられますよ。


写真本 123456789101112131415161718192021222324

メチャクチャなタイトルの本ですが(これで「シャシンボン ニジュウヨンエイチ」と読ませるそう)、サイズも364ミリ角・・ってLPよりでかい、ハードカバーの写真集。このご時世に、珍しいムチャな企画ですねー。出版元が日経BPというのも、驚きですが。

「1日を1時間ごとに24分割し、現代の日本を代表する写真家がその時間の東京を撮影。それを並べることで、2010年の東京のある架空の1日の再構成を試みた写真本」というコンセプト。上田義彦、ホンマタカシ、佐内正史、川内倫子・・ビッグネームがずらりと並ぶ中で、僕も午前2時の部を受け持たせてもらってます。



ちなみにこの本、1124部限定で、3990円とお買い得! しかもかなりでかいので、家に届いたらびっくりしますよ!