2011年1月26日水曜日

東京右半分:民謡酒場でコブシに酩酊 後編

高度経済成長期の東京を下支えした出稼ぎ労働者たちにとって、こころの拠りどころとして機能してきた民謡酒場を訪ね歩いて、『民謡酒場という青春』という本にまとめた山村基毅さん。今週は山村さんの案内で、東京右半分にいまも残る4軒の民謡酒場をハシゴしてみた。

浅草 民謡酒場・追分

浅草国際通りと言問通りの交差点から、入谷方面に歩いてすぐ、鶯色(と言うんだろうか?)の外壁がやけに目立つ<追分>は、酒場と言うより料亭のような押し出し。開業が昭和32年。東京に現存する、もっとも古い民謡酒場である。ちなみに同じ浅草の、観音温泉と同年の開業だ。そのころが、戦後の浅草の最盛期ということだろうか。


浅草 民謡の店・みどり

最盛期には20軒以上を数えた吉原の民謡酒場だが、いまも営業しているのはこの<みどり>ただ一軒である。秋田出身の民謡歌手、佐々木貞勝さんと小松みどりさんが、吉原に<みどり>を開いたのが昭和38年のこと。3年後に花園通りを挟んだ浅草側に店を移し、現在まで店を続けている。



向島 民謡の店・栄翠

かつては東京六花街という言葉があったが、いま芸者さんを呼んでお座敷遊びがまともにできるのは、東京では向島ぐらいになってしまった。そういう粋な街で、民謡好きが集まるのが<栄翠>である。



亀戸 民謡酒場・斉太郎

「エンヤートット、松島〜のっ」とやるのが斉太郎節。言わずとしれた宮城の民謡である。その宮城県出身の歌手・小島文子さんが女将を務めるのが亀戸駅裏の民謡酒場<斉太郎>。開業が昭和55年というから、ちょうど30周年を越したところだ。




ROADSIDE USA トーク 2月6日@青山ブックセンター

先週もお知らせしましたが、青山ブックセンター青山店にて、ROADSIDE USAをテーマにトークやります。ご予約はお店のウェブサイトより。たっぷり2時間あるので、いろんなお話できると思います。日曜日の午後ですが、ぜひお出でください!


ほぼ日イトイ新聞:スペシャル対談連載『THE KARAOKE』全16話、まだまだ続行中です!



糸井重里さん、みうらじゅんさん、田島貴男さんという超豪華メンバーに混ぜてもらってのスナック対談。2月4日の最終回まで、毎日更新でまだ半分ぐらい! だらだら話を、だらだら読んでください!

大阪式:谷本恵写真展

「写真家 吉永マサユキ氏・森山大道氏による写真塾「resist」の卒業生有志10人が新しい展示発表の場を求め」(公式サイトより)、去年10月にオープンしたばかりの写真ギャラリーSHUHARI。気がついてみれば、四ッ谷3丁目から新宿御苑あたりって、写真ギャラリー密集地帯になっちゃいましたね。ちなみにSHUHARIは四ッ谷3丁目のスーパー丸正並びですが、1階には僕が愛用する安中華料理屋、2階にはこれまた安くて良心的な中国マッサージ店、そして3階がギャラリーと、いい感じの組み合わせです。

そのSHUHARIできのうから始まったのが、谷本恵さんという若い写真家の展覧会。『大阪式』というタイトルのとおり、谷本さんが生まれ育った大阪の、いかにも大阪らしいひとや風景をスナップしていて、楽しいコレクションです。



僕も最近、大阪にはよく撮影に行くのですが、これだけ大都市で、これだけおもしろいのに、まともなガイドブックや写真集がひとつもない場所って、世界的にも珍しいんじゃないでしょうか。タコ焼きだの、タイガースだの吉本だのじゃない、素顔のブスかわいい大阪。そういう良さって、もしかしたら地元の人間がいちばん見えてないんじゃないかなと思ったりします。

谷本さんも、大阪から東京に出てきて初めて、外から大阪を観察する視線が持てたと言ってました。「こうボケたら、こう突っ込め」みたいな、地元民しか共有できないメンタリティ。そういう閉じた感覚が、すごくもったいないなと思うときが、大阪にいるとよくあります。今回の展覧会は、量的にまだまだ物足りないのですが、そんな「外から見た大阪の楽しさ」がにじみ出ていて、うれしくなりました。しかし僕みたいなヨソモノに大阪本つくらせてくれる出版社、ありませんかねえ。



(展覧会は2月6日まで)

『俺節』復刻版・完結!

ここ数年、演歌、それも売れないながらがんばりつづける歌手たちの人生がすごく気になって、追いかけつづけています。去年は平凡社のウェブ・マガジンで、インディーズ演歌歌手をインタビューした『演歌よ今夜も有難う』という連載もやらせてもらいましたが(まだ読めます! http://blog.heibonsha.co.jp/enka/)、そういう演歌好きの編集者である僕のツボにもっともハマる漫画家といえば、土田世紀さんかもしれません。なんたって代表作が『編集王』ですから。

その土田さんが1990年代初頭にビッグコミック・スピリッツに連載していた『俺節』が、上中下の分厚い3巻セットとして復刻され、このほど下巻が発売、完結しました。世の中がバブル絶頂だった時代に、青森から演歌歌手を目指して上京したアガリ症の青年を主人公に据え、あくまでも場末の人生にこだわるという、トレンドに完全に背を向けた内容が熱い支持を得つつ、ながらく入手困難だった幻の名作です。ちなみに題字は北島三郎! しかもサブちゃんは題字だけでなく、主人公のデビュー曲である『俺節』が実際にCD化された際のプロデュースまで手がけているそう。残念ながらCDは中古屋でもぜんぜん見つからないのですが。

演歌好きはもちろんですが、業界の底辺でもがき苦しみながら、自分の歌にかける主人公の生きざまは、かぎりなくロックでもあり、ヒップホップでもあります。もやもやした日常、ぬるま湯のような人生に回し蹴りを喰らわせたい、すべてのひとびとにとって必読書でありましょう。みっちり描きこまれて、全面黒々とした画面。ド演歌のコブシがそのまま顔になったような、脇役たちの表情。とにかく最高なので、3巻まとめて即ポチしてください! 上、中巻の巻末に添えられた長文メール・インタビューも、かなり興味深いです。

『編集王』のほうは古本で安く買えますから、『俺節』に酔った勢いで、両方読み返すべし。


ジム・オルークになにが起きたのか! 『矢切の渡し』レッスン風景



ツイッターを見てくれてないかたがたのために、ふたたび報告。


友人から教えてもらって悶絶したのがこのYoutube映像。ジム・オルークが『矢切の渡し』をレッスンしてもらってる・・・なぜに??? しかも超真剣! 母国アメリカのファンたちにこの勇姿(?)を見せてあげたい。




ソニックユースのメンバーでもあったジム。ウィキペディアによれば、「好きなアーティストはジョン・フェイヒー、ヴァン・ダイク・パークス、デレク・ベイリー、武満徹、小杉武久、高柳昌行、メルツバウ、細野晴臣、加藤和彦、はちみつぱい、金延幸子、ハナタラシ、戸川純、若松孝二」だそうだが・・・演歌まで手を伸ばしていたとは。そしてレッスンをつけてくれている四方章人さんは、演歌カラオケ界では有名な先生であります。


ちなみに司会進行の瀬口侑希ちゃんは、大阪の有線放送会社で営業職しながらレッスン重ねて歌手デビューした、がんばりやさん。僕も過去に『月刊カラオケファン』で自宅訪問インタビュー、『エスクワィア』で、レコード屋キャンペーン取材をさせてもらってます(ずいぶんちがう2誌だが)。どっちもしばらく単行本にならなそうなので、ここに写真と文章、再録しておきます。


月刊カラオケファン 2007年11月号 わが家にようこそ♪ 瀬口侑希



演歌歌手といえば旅回り。レコード屋の店頭からカラオケ喫茶まで、唄えるところはどこでも行ってキャンペーン––そういう苦労がまず思い浮かぶ。でも「キャンペーンで回れるだけ、いまは幸せ、キャンペーンしたくてもできないのって、いちばんつらいですから」と言うのは瀬口侑希さん。神戸から出てきて、今年が東京9年目。今年の春に待望のファースト・ミニ・アルバムを出して、いよいよこれからブレイクか、というタイミングだ。
昭和45年生まれというから、今年32歳になる瀬口さんは、当然ながら演歌じゃなくてアイドル世代。「聖子さんに明菜さん、マッチやトシちゃん、それにおニャン子とチェッカーズ!」という少女時代を送っていた。
小さいころから歌うのが大好きで、神戸放送合唱団に入っていたが、家の近所に歌謡学院があるのをお母さんが発見。それが松山恵子さんと同じ学校を出て、杉良太郎さんのお師匠さんだったという先生が教える教室だった。
「アイドルとか習いたいな」と門を叩いた少女に、先生は「貴臣ちゃん(たかみ=本名)の声はね、歌謡曲のほうが向いてるんだよ、いちど演歌みたいなものを持っておいで、レッスンしてあげるから」という意外な反応。「有名な先生だし、説得力あるし、あたしの声だけでそう判断してくれたのだから(先生は盲目だった)」と、半信半疑のままレコード屋に行って相談したら、「こういうのが合うよ」って選んでくれたのが『あばれ太鼓』。それに神野美伽さんの『男船』。小学生の女の子に、渋い選曲しましたねー、レコード屋さんも。
お父さんが船乗りで、航海に携えていく演歌系のレコードはいっぱいあったけれど、それまで特に聴いたことなかった貴臣ちゃんは、中学に入っても勉強と部活と唄の勉強をかけ持ち。そうして高校1年生の時に、兵庫県猪名川町にやってきたNHKのど自慢に出場、見事チャンピオンに輝く。
そのとき歌ったのは島津亜矢さんの『出世坂』だったという。「高校生なのに本格的な演歌志向だったんですねえ」と聞いたら、「舞台映えのする歌はどんな曲なのか、研究に研究を重ねて。とにかく目立つのを選んだんです!」とのお答え。そりゃ高校一年生で、歌に込められたこころを・・とか言っても、無理だしねえ。
その勢いで年末、渋谷のNHKホールで開かれたグランドチャンピオン大会にも出場、ところが「優勝どころか、なんの賞ももらえなくて、それが悔しくて!」。その悔しさで、自分はやっぱり歌が好きなんだなあと再確認したそうだ。
高校を出たあとは大学に進学。学校の休みには東京に出て歌のレッスンに励んでいたが、いざ卒業、就職という時期になり、先生に「就職先のひとつとして歌手はないですかって言ったら、歌手って職業はね、自分がなりたいだけではなれないんだよって、厳しく諭されました」。



やむなく大阪で有線放送の会社に就職、営業で飛び回っているうちに、歌の先生からラジオの文化放送のオーディションがある、と教えられる。おそるおそる上司に言ってみたら、その部長さんがもともと音楽家志望で、「僕は夢を諦めた。でも会社員として部長まで来た。だから満足してるし、部長としては言えないけど、人生の先輩としては、夢を追いかけている後輩を見たら、今ならまだ間に合うんじゃないかと言ってあげたい。家と会社の往復では、結局なにも見つからないよ。、チャンスがあるならいけば!」と励まされ、OLを辞めて「ラジカセとスーツケースひとつ持って」上京する。
オーディションを待ちながら、同じ文化放送でアルバイトも始め、そこでたくさんの先輩歌手や芸能人にもアドバイスをもらえるようになった。オーディションに受かったあとは『走れ! 歌謡曲』で、今度は裏方から出演する側に回り、24歳の終わりになって歌手デビュー。それからは年1枚のペースで新曲発表、「ずーっと忙しいまま」で突っ走ってきて、「丈夫な体に生んでもらって、感謝してます!」という毎日。この部屋で過ごせる時間もほとんどないけれど、「少々家に帰れなくても、苦でもなければ逆にうれしいくらい。この仕事で家にずっといるようじゃ、しょうがないですし」。
CDジャケットの写真を見ていくと、1作ごとにすごく雰囲気がちがう、多彩な顔を持つ瀬口さん。ミニアルバムでは『骨まで愛して』なんて意外な曲にも挑戦してるので、ぜひご一聴あれ。

ESQUIRE 2009年1月号 東京秘宝 第2回 商店街のレコード店と店頭キャンペーン



♪乱れた文字です 最後の手紙
女の祈りが 届くでしょうか
かもめも飛ばない 港に着いて
「あなた」と叫べば 雪になる・・・

賑やかさと場末感が微妙に入り交じる秋の暮れの商店街。肌寒い風の中を家路に急ぐ人々が行き交う街角に、一群の中高年の男女が肩を寄せあっている。そのかたまりの中心に立つ、場違いなドレスに肩まであらわにしながらマイクを握りしめ、絶唱する女性歌手。ここは北区東十条商店街のレコード店・ミュージックショップ(MS)ダン。今宵はいま売り出し中の若手演歌歌手・瀬口侑希(せぐち・ゆうき)の店頭キャンペーンなのだ。
神戸に生まれ、高校一年生でNHKのど自慢チャンピオンになった。一時はOL生活に入るも歌への夢が捨てきれず、ラジカセとスーツケースひとつ持って上京。文化放送でアルバイトしながらオーディション挑戦をくりかえし、24歳の終わりになってデビュー。それからすでに9年目で、文化放送の『走れ!歌謡曲』の隔週レギュラーを担当するなど、ようやくスター歌手への道を走りはじめたいまも、「店頭キャンペーンは1回でも多くやりたいんです!」と真顔で話す。
レコード店の前に立って、道行く人に向かって歌いかけること。それは歌手を目的にお客さんが来るリサイタルとは根本的に異なる、厳しい時間だ。家や駅に向かって、あるいは夕食の買い物にあわただしく歩き、自転車のペダルをこぐ人々の足を、自分の歌声で立ち止まらせ、30分かそこらの時間、引き留めておかなくちゃならない。自分のことを知って、聴きに来てくれてるわけじゃない。おもしろくなければ、いきなり立ち去ってしまう。からかい半分、見世物見物気分の野次馬だって、ときにはからんでくる。お客さんとの距離は数十センチ、なにが起こっても、逃げ隠れする場所はない。それでも演歌の歌い手は、ひとつでもたくさんの店頭キャンペーンをスケジュールに入れたくて、みんな必死だ。
TOWERとかHMVとかTSUTAYAとか、レコード店がアルファベットの巨大店舗を意味する前の時代、店の前に立って道行く人に新曲を聴いてもらう店頭キャンペーンは、ごくあたりまえの風景だった。商店街のレコード店という存在自体が滅亡の危機にあるいま(この商店街にもレコード店はMSダン1軒のみ、書店にいたってはひとつも残っていない)、演歌歌手にとって新曲をプロモーションできる機会は、極端に限られている。巨大レコード店はJ−POPのアーティストは呼んでくれても、演歌歌手のインストア・ライブなんて許してくれないから。
MSダンは、都内に数軒しか残っていない、「店頭キャンペーンのできるレコード店」だ。月におよそ15回、ほぼ1日おきにキャンペーンが組まれ、いまや演歌歌手の登竜門として、業界では知らぬもののない名店である。
昭和24年、現在の山中喜三雄社長のお父さんが東十条商店街に開いたレコード屋が、MSダンの始まりだった。「あと継がないんだったら閉めるから」とお父さんに言われ、武田薬品に勤める営業マンだった喜三雄さんが店を継いだのが、昭和43年ごろ。「もともとレコードはけっこう高額商品でしたから、お客さんは限られてたし、音楽産業は景気に関係ない業種でして、再販商品で定価は守られてるし、レコード屋にはいい時代だったんですね」と当時を懐かしむ山中さん。サラリーマンより給料はいいし、不安はなかったそうだが、「これだけ音楽業界が変わるとは、予想もしなかったですねえ」。
大阪のバンドマンだった井上大佑が、8トラックのカラオケを発明したのは昭和46年。東京のFMラジオ局J−WAVEが”J−POP”なる造語を使い出したのが昭和63年、時代が平成にかわる前年だ。このふたつの出来事が、日本の歌謡音楽業界を大きく変えることになった。
いまや品揃えの9割が演歌というMSダンも、お父さんの代にはごくふつうのレコード店だったという。それが「カラオケが台頭してきて、J−POPもでてきて、これからどうしていけばいいんだろうと思ったときに、小さな店なら対面販売しかないだろうと思ったのね」と山中さん。
対面販売できる音楽のジャンルは、3つある。クラシックとジャズと演歌。それに対してJ−POPは、飾っておけば黙ってても売れる、コンビニ商売だ。お客さんが店に入って、買って出ていくまで、ひとことも言葉を交わさなくてもいい。そういう商品を、大規模店舗と競っても勝ち目はないだろう。「それで3つのうちのどれをやろうと考えたときに、ジャズとクラシックは、生半可な知識ではお客さんに負けてしまうけど、演歌なら身の丈のもので大丈夫」と、店の奥の棚を演歌の対面販売用にしたのが、”演歌の登竜門・MSダン”の始まりだった。
ときはバブル真っ盛り、「小室さんとかのCDが3000円でも飛ぶように売れる時代に、1200円とかの演歌のシングルCDを、手間暇かけて売る、それを我慢してやってきたんで、いまがあるんです」。伍代夏子、坂本冬美、藤あやこ・・いまや大スターとなった数多くの歌い手が、そんな演歌・冬の時代にMSダンの軒下に、間に合わせで作られたステージから旅立っていった。
そしてバブルは弾け、景気に関係なかったはずの音楽業界も店舗大型化と貸しレコード店の登場、音楽配信の普及という激震の中で、どんどん店舗数が減っていった。「だからいろんな店がいまはね、緊急避難として演歌をやろうとしてるんですよ」。ぬるいビールを注いだときの泡みたいに、ふわふわ業界を覆っていたJ−POPがなくなって、底に残っていた演歌というコアな音楽ジャンルが、表層に見えるようになってきた––––いまはそういう時代なのかもしれないと山中さんは語るが、それまでJ−POPばかり売っていたレコード店が、いまになって演歌歌手のキャンペーンに来てくれといっても、根っこを支え続けてきたMSダンのような店にはかなわない。それだけの時間をかけて人間関係を築いてきたのだし、「よその店は、キャンペーンなんて”売れたら来てよ”だったでしょ(客寄せに)、うちは売れない時代から、ずっと一緒でしたから」。それではようやく演歌にも春到来かと思いきや、「いまの演歌は聴く演歌じゃなくて、残念ながら歌う演歌なんですよ、うちのお客さんは音楽を探しに来るんじゃなくて、教科書を探しに来るんですから」と、教えてくれた。
いま、カラオケで歌いにくい曲は売れない、と演歌業界人は口を揃える。山中さんの意見も同じだ––––「昔は好きな人のレコードを買ってましたよね。いまは、自分はこの歌手は嫌いだけど、歌えるからって買うんですよ。そうすると素人の歌える域で、曲を作るじゃないですか。難しくしないから、みんな同じ曲調の歌になっちゃう。それでますますCDが売れなくなっちゃう。だから聴かせる歌というのを我慢してみんなに歌ってもらって、聴かせるものに徐々にスライドしていけば、もっとパイは広がるはずなんですけど。それができないのが、いまの苦しさですねぇ」。
店を演歌専門にシフトするとき山中さんと、”ダンママ”と呼ばれる業界名物・博子さんのふたりがまずやったのは、「曲をいっぱい聴くこと」。徹底的に曲を勉強して、来てくれたお客さんの好みを把握したら、「レコード探してるでしょ、そのときに”これ聴いてみて”って、ほかのも薦めちゃうんです」。こういう商売は新興宗教みたいなもので、「ダンさんに行けばいいレコードを教えてくれる、って信じてもらっちゃえばいいんですから」と山中さんは笑うが、その信用のバックには膨大な知識のストックがあり、歌手とレコード会社との信頼関係があり、さらに独自のサービスがある。
「うちね、僕の代になったときに、レコードの配達を始めたんですよ。本屋さんはやってますよね、配達。レコード屋はなんでやらないんだろう?って。ちょど8トラックのカラオケ・カセットが出てきたときに、スナックからよく注文があったんですけど、お店の人は買いに出てこれないでしょ、届けてよと言われて始めました」。僕も子供のころからずいぶんレコード店にはお世話になってきたが、配達してもらえるお店というのには、いままでひとつも出会わなかった。「ほかにやってる店ないからね、ずいぶん不思議がられたけど。いまみたいに近所にレコード屋がなくなると、遠くから来てくれるお客さんに在庫がないからって二度来てもらうのも大変でしょ」。
いまでもCDシングル1枚から注文を受けて、山中さんはみずからオートバイに乗って、都内全域に配達して回っている。中古盤屋じゃないからLPはないが、意外に多いのがカセットテープ。店の入口にも生カセットがずらりと積んであるし、店内の品揃えでもカセットが棚をいくつも占領している。いまだにカセット、買う人いるんですかと尋ねたら、演歌のカラオケ・レッスンではいまだにカセットが主流なのだそう。「レッスンだと曲の一部分を抜き出して歌ったりすることが多いんだけど、CDだと巻き戻しの操作が難しくて、覚えられない人が多いんだよね」。なるほど・・・お稽古用にまとめて300本購入、なんて先生がいるそうだから、AV機器メーカーはちょっと考えたほうがいいのかもしれない。
「僕らが作ってるんじゃなくて、お客さんが勝手に写真撮って、額装までして持ってきてくれちゃうんですよ」という、演歌歌手たちの写真が天井から無数にぶら下がり、もちろん壁という壁はサイン入りのポスターで埋め尽くされ、小さいながらも演歌の殿堂というべき貫禄たっぷりの店内。「店頭キャンペーンで人が集まるか、集まらないか、それは歌い手の力量だけど、とりあえず歌いに来てもらったのにイヤな思いをさせて帰したくない、それだけは気をつけて、お客さんがあまり来なくてもフォローするようにしてます」という山中さん。温かい飲み物を用意したり、「商店街の催しが重なったから、あまり集まらなかったんだよ」と声をかけたり、「若いときによくしてもらったお店よりも、辛い思いをさせられた店の名前はぜったい忘れないって、ベテランさんはみんな言いますから」と笑うが、同時に「店先で歌ってるのを見てて、売れる子っていうのはよくわかる。お客さんにも関係者にも、ちゃんと気配りできる子ですね。ちょっと売れて勘違いする子は、やっぱり業界で長生きできない」と、クールな評価眼を忘れてはいない。
「水森かおりさんだって、もともと近所で高校生のころからうちに遊びに来てたけど、デビューから紅白歌合戦まで10年近くかかってるでしょ、それが最高に順調なほうですから」という演歌業界。最短距離を走っても売れるまで10年、”苦節”という言葉が当てはまらない歌手が、たぶんひとりもいない厳しい世界で、MSダンのような存在は、どんなメディアよりも貴重なサポーターであるはずだ。


2011年1月21日金曜日

緊急特報 DOMMUNE 1月24日(月) 玉袋筋太郎さんと!



急なお知らせで申し訳ありませんが、24日の月曜日、DOMMUNE『スナック芸術丸』やります! それも、今回はスペシャル・ゲストとして浅草キッドの玉袋筋太郎さんが参加! 玉さんが最近発表したDVD『ナイトスナッカーズ』をサカナに、たっぷり2時間、スナック・トークぶちかまします。

ご実家が西新宿のスナックだった玉袋さんは、知る人ぞ知るスナック・スペシャリスト。ヤラセなし、アポなしで各地のカラオケスナックに飛び込んだ『ナイトスナッカーズ』は、見てるだけでホロ酔い気分にしてくれる、水割りみたいな作品でした。

今回は制作裏話をまじえながら、日本が誇るストリート・カルチャーである「スナック」について、ふたりで語り尽くしてみるつもり。ぜったい見逃さないでください! 浅草キッドで2時間なんて、テレビでもやらないですから。とうぜん、爆笑必至!

まもなく、DOMMUNEのサイト上でスタジオ観覧受付も始まると思います。瞬時に満員となることが予想されますので、こまめにサイトをチェックしてみてください。


で、そのテオ・ヤンセンさんは・・・


こんなパソコンで仕事して(ATARI懐かしすぎ!)、


その合間にこんなの作って遊んでたんですから、最高です!

ROADSIDE USA トーク! 2月6日13時スタート

2月6日(日)午後1時より、青山ブックセンター青山店にて、ROADSIDE USAをテーマにトークやります! たっぷり2時間! 予約お早めに! 


http://www.aoyamabc.co.jp/event/2011/roadside_usa/

ROADSIDE FASHION 新連載開始!

洋服屋が僕らに着てほしい服じゃなくて、僕らがほんとに着たい服って、どんなのだろう。ブランドとかシーズンとか、どうでもよくなった達人はなにを着てるのだろう。身につけた服の値段じゃなくて、服の下に隠されたからだのクオリティを想像させる服って、どんなのだろう。たかが洋服、されど洋服。解き放たれたオトナの着こなしを探す旅!

・・というわけで、今月からメンズ・ファッション誌『SENSE』で、渾身の新連載がスタートしました。いままで自分なりにアートやデザインを見てきたやりかたで、ファッションを考え直してみようという、めずらしい企画です。いまや少なくなった、分厚いお洒落メンズ・ファッション誌の中で、ものすごく浮くこと必至の6ページ! とりあえず1年ぐらいはがんばるつもりなので、ご期待ください。


第1回目は『人生に必要なファッションは、ぜんぶVシネに教わった』と題して、「顔面凶器」とも呼ばれるVシネ四天王のひとり、小沢仁志さんが登場! お気に入りの大阪発ブランド・bbco(ビビコ)を着てもらいました。なかなかシロウトさんには着こなせないハードなアイテムを、さらっと着こなす迫力は、さすがの押し出し!


「ほんとのお洒落とは、裸になったときにどうかってこと。コナカや青山のスーツ着てても、それアルマーニ?って聞かれる、そういうもんじゃないかなあ。だって、いい女がブランドもの持って、化粧けばくて髪の毛カールしててもさぁ、脱がしたら、なんだこの三段腹!!って(笑)」——と独自のファッション哲学も語ってくれている、貴重なインタビュー付きです。ふだんはファッション誌なんて興味ないみなさんも、ぜひご一読を!

ほぼ日イトイ新聞:スペシャル対談連載『THE KARAOKE』全16話スタート!

いまや一日の総ページビューが100万以上というメガ・サイト『ほぼ日イトイ新聞』で、『THE KARAOKE』と題した対談連載が始まりました。1月18日から2月4日まで、土曜日を除く毎日、全16回という超長編というか、ロングトーク! しかもお相手が糸井重里さん、みうらじゅんさん、田島貴男さんという、僕以外は超豪華メンバー。この4人が四ッ谷のスナックで、だらだらとカラオケや演歌の魅力についてオヤジ・トークを繰り広げます。まあ、飲みに行ったら、となりで盛り上がってるオヤジたちの声がうるさくて、つい聞いちゃった・・みたいなノリで、気楽にお読みください。


東京右半分:民謡酒場でコブシに酩酊 前編

『民謡酒場という青春』という一冊の本が、旅の始まりだった。

山村基毅(もとき)さんというジャーナリストが書いたこの本は、昭和30年代からオイルショックまでの、高度経済成長期に東京の、それも吉原を中心に栄えた民謡酒場の盛衰を追った物語である。歌謡曲でも演歌でもなく、民謡を聴いて歌って飲んで踊れて、それも新宿でも渋谷でも池袋でもなく、かつて日本最大の遊郭であり、いまも日本最大のソープランド密集地である吉原に、よりによって何十軒もの民謡酒場があったとは、いったいどういうことなんだろう。



いま、2011年の東京で、民謡をカラオケで歌える酒場はいくらでもあるけれど、当時のスタイルを残す民謡酒場は、都内にも数えるほどしかない。浅草に1軒、吉原に1軒、向島に1軒、そして亀戸に1軒……。




島本理生さんと東尋坊の彼

ツイッターにもちょっと書きましたが、いま発売中の文芸誌『新潮』で、島本理生さんが「東尋坊のドリャーおじさん」について書いています。もう10数年前、たまたま観た『探偵ナイトスクープ』(当時、関東では観ることもできませんでした)で出会ったドリャーおじさんに衝撃を受け、トークやレクチャーのたびに、ダビングでボロボロになったビデオテープを見せていたのですが、3年ほど前には縁あってというか、ついに長年の思いが叶って御本人に会うことができ、インタビューもさせてもらいました。


島本さんは、僕のトークにわざわざ足を運んでくれ、そこでドリャーおじさんを知ってすっかり気に入り、短編小説を書かれたそうです。『新潮』に書かれているのはその出会いのエッセイで、小説のほうはやはりいま発売中の『yom yom』に、『ときめき』というタイトルで掲載されています。こちらのほうは、とても不思議なタッチの短編でした。

島本さんの文章を読んでどりゃーおじさんに興味を持っていただいた方は、傑作選DVDの『vol.5&6 box』にオリジナルの番組が収録されているので、ぜひご覧ください。またインタビューは、去年広島市現代美術館の展覧会で出したカタログ『HEAVEN』にも収録されています。


しかし『探偵ナイトスクープ』は1988年の放映開始から、すでに22年も続く長寿番組で、いまだに視聴率20%前後を誇り、関西ではトップの座ゆるぎなく、しかも関東ではいまだにどうやっても受けないという、関西人にとってはすでに人生の一部、関東人にとっては永遠に不可解な現象です。

アマゾンで見てみたら、傑作選DVDはすでに7巻まで発売されていて、それぞれ2枚組なので、すでに14枚! 全部でいったい何時間分あるんでしょう・・・これはもはや、日本が誇るストリート・カルチャーの映像ライブラリーではないかと。いま東京で寂しい思いをしている関西出身者は、全巻揃えてこころの支えにしたいものです。

浅川マキの『ロング・グッドバイ』

その早すぎる死からちょうど1年、ついに出ました、浅川マキのオフィシャル本『ロング・グッドバイ 浅川マキの世界』です。版元の白夜書房のサイトから紹介文を引用させてもらうと——

2010年1月17日に急逝した、日本におけるワン&オンリーの歌手「浅川マキ」、その独自の世界を、著者自身の原稿、対談、関係者等のインタビュー、写真、年譜、ディスコグラフィーで構成した、その軌跡の全貌を伝える、最初にして最後のオフィシャル決定版、初回完全限定で、遂に発売!
 デビュー当時から写真を撮り続けている、田村仁の貴重な写真を多数収録!


<内容一覧>
灯ともし頃(未発表写真) 写真・田村 仁


第一章 あの娘がくれたブルース 浅川マキ


第二章 今夜ほど淋しい夜はない 浅川マキ


 追悼・浅川マキ
  反世界の表現者を全う 加藤登紀子
  ちょうど一冊の本のような完全犯罪 五所純子


第三章 一冊の本のような(浅川マキが書く人物論)
 ビリー・ホリディのこと
 Who's Knocking on My Door(寺山修司のこと)
 野坂さんの唄のなかから
 南里さんのブルー・ノートは南里さんの裡に
 筒井さんのこと
 あの男がピアノを弾いた(阿部薫のこと)


第四章 新しいと言われ、古いと言われ(対談集)
 たとえ五人の聴衆のためでも 五木寛之との対談
 黒いブルース・フィーリング 河野典生との対談
 バンド編成をめぐるむずかしめの話 奥成 逹との対談
 『幻の男たち』について 柄谷行人との対談
 ちょっと長い関係の話 本多俊之との対談


第五章 一九六五年のわたし 浅川マキ


 浅川マキ論
  浅川マキ/1970 西井一夫
  浅川マキとその周辺の世界 スティーヴ


第六章 神がブギ・マンだとしたら 長谷川博一


第七章 ロング・グッドバイ(関係者インタビュー)
 山木幸三郎
 九条今日子
 亀渕友香
 喜多条忠
 つのだひろ
 萩原信義
 山下洋輔
 渋谷 毅


 ディスコグラフィー
 年譜

ということで、いままで本人のエッセイを集めた本は2冊ほどありましたが、彼女の歌手人生と関わってきたひとたちがこれほど参加した資料集は、もうこれ以外に出しようがないでしょう。

浅川マキは文章も実はすごく雰囲気があって、僕は大好きなのですが、本人が1970年代初期に書いたエッセイもたっぷり収録されています。幻のデビュー曲だったド演歌『東京挽歌』についても触れられているし、五木寛之から柄谷行人まで、さまざまなひとたちとの対談も読ませます。浅川マキのオフィシャル・カメラマンというか、このひとにしか自分を撮らせなかったという田村仁さんの写真も、時代感がひしひし伝わってきて最高です。

なにもここで長ったらしく紹介しなくても、浅川マキファンはすごくたくさんいると思うので、とっくにこの本のことはご存じかと思うのですが、こうして彼女の歌い手としての生涯を振り返ってみると、「昭和の芸能界の中で、これほど純粋でストイックな生き方がどうして貫けたのだろうか」と、感嘆せずにいられません。彼女自身の揺るぎのない思いを、マネージングしてきた事務所と、まったく路線変更せずにレコードを出しつづけてきた東芝EMIが、損得勘定抜きで最後まで支え続けたということなのでしょう。そういう意味で、歌手としての彼女の一生は、すばらしく幸福なものだったのかもしれません。

エッセイを読んでもらえばわかるように、1942年に石川県の片田舎に生まれ、いちどは町役場に勤めながら歌への思いを捨てきれず、米軍キャンプやキャバレーを転々としながらクラブ歌手として苦労を重ね、20代後半になってから寺山修司に見いだされ、あの「浅川マキ」になった彼女。ほとんどの曲の詞を自分で書いている、優れた詩人でもありました。

CDの音質に最後まで懐疑的だったということで、最後に発表された作品は1998年の『闇の中に置き去りにして —BlackにGood Luck』です。多くのマキ・ファンは、フリー・ジャズに近づいていった後期の作品よりも、『夜が明けたら』や『かもめ』のような、初期のしっとりとした歌を好むのでしょうが、あらためて全作品を聴きかえしてみると、ドラムスやサックスやギターが暴れまくるサウンドの奔流にサーフィンのように、ポエトリー・リーディングかラップのフリースタイルのように、語りとも歌ともつかぬ言葉を乗せていくスリリングなスタイルには、ほかのだれにも真似のできないオリジナリティがあります。もしかしたら彼女こそ、これから日本語のヒップホップが向かう未来を照らす導師なのかもしれません。

音楽のレベルも、音質も完璧でなくては許さず、気に入らなければすでに発売されたレコードも廃盤にさせる。ポートレートもただひとりの写真家に、それもモノクロームでしか撮らせない。「孤高」という言葉がこれほどふさわしいアーティストはいなかったでしょう。そういう彼女の生きざまの、本書は最高のトリビュート本とも言えます。日本の、日本語の音楽に興味を持つすべてのひとに読んでいただきたい重要な一冊です。

ただ、ひと言だけ付け加えさせてもらえるなら、僕は編集者として、もう一冊の「浅川マキ」を読みたい思いも押さえられません。完璧に作りあげられた彼女の世界にかしずく一冊ではなく、墓をあばく一冊を。ほとんど語られることの亡かった彼女の私生活を探り、残された部屋の写真を撮り・・。もちろんそんなことは許されないでしょうが。

それはなにも偉大なアーティストを貶めたいのではなく、その生きざま、その素顔が、いま悩み迷う若い表現者たちに、なにより勇気を与えてくれると思うからです。アンダーグラウンドの伝説として、音楽史のひとコマに落ちつかせてしまうには、浅川マキはあまりに惜しく、あまりに現代的だから。


2011年1月13日木曜日

足立区が誇るインディーズ演歌歌手みどり○みき at なかの芸能小劇場

年も押し詰まった12月27日、中野サンプラザ向かいにある、なかの芸能小劇場というコミュニティ・センターで、激渋インディーズ演歌歌手の祭典が開かれました。なんたって司会からして「いか八郎」(今年77歳!)さんですから、そのアンダーグラウンド・レベルがわかろうというもの。

『演歌よ今夜も有り難う』というウェブ連載をきっかけに、この2年ほど取り組んでいるインディーズ演歌の世界を、今年の夏に単行本化するための追加取材でしたが(平凡社より刊行予定)、なかでも最注目のシンガーが「みどり○みき」さん。こちらのサイトでまだロング・インタビューがお読みいただけますが、



足立区のカラオケ喫茶をベースにしながら、毎月浅草の東洋館で歌うなど、積極的な活動を続けているベテラン・インディーズ歌手です。

みどりさんの最大のヒット曲は、平成12年に発表された『神様は泣いた』(英語版もあって『ゴットクライド』!)で、ご本人によればすでに40万枚!を売り上げたそう。なかののリサイタルでも、もちろん古コーラスを、お得意のジェームズ・ブラウンばりのシャウトを交えながら歌い込んでくれました。あまりに素晴らしいステージだったので、思わず撮影した動画をこちらでご覧ください!


さらに驚いたのは、みどりさんご本人の歌唱後、「サポーター」の女性陣が登場、ひとりずつ持ち歌を披露してくれたのですが、みどりさんと同じ『神様は泣いた』を歌った方がいたこと。それも御本家みどりさんとはまた微妙に違う、ハートフル&ソウルフルな絶唱。途中で感極まって泣いてしまい、しかし泣きながらも手のひらに隠した歌詞カードをチェックするという、インディーズならではのステージが堪能できました。なので、こちらも動画でどうぞ!(どちらの動画も、Youtubeのホームページからは見られません。こちらからご覧ください)


ビートたけしも育った老舗ストリップ劇場・浅草フランス座だった、現在の浅草東洋館では、今年も定期的にみどりさんのステージが見られるはず。ご本人の公式ブログで、予定をチェックしてみてください(1月12日現在、まだ今年分は発表されてませんでしたが)。ビョークよりもレディガガよりもハードコアな、日本屈指のソウル・シンガーをぜひステージでナマ体験していただきたいです!

公式サイト:
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ENGEI/miki.html

東京右半分:冬風よ塔まで運べ一揆の声

去年1年間で右半分はもちろん、日本でいちばん話題になった場所はといえば、これはもう東京スカイツリーに間違いない。まだ完成まで1年以上あるってのに、お膝元の押上近辺は毎日、記念撮影に熱中する観光客で大混雑。いざ完成したあかつきには、いったいどうなっちゃうんでしょう・・。

しかし隅田川を挟んだ向かいの台東区には浅草も、上野もあるのに、歴史はあれどイマイチ地味だった墨田区にとって、スカイツリー建設は千載一遇のチャンスである。すでに下町らしからぬ高層マンションや、おしゃれなカフェなんかがツリー完成後のイメージアップを見越して続々出現中。区の役人さんもディベロッパーも、日ごとにちょっとずつ高くなっていくスカイツリーが、ひと束ずつ積み上がっていく札束に見えているにちがいない。



ニューヨークのソーホーやロンドンのイーストエンドに象徴されるように、貧困地域からもともとの居住者を追い出して、高級住宅地や商業地域へと再開発する「ジェントリフィケーション」と呼ばれる現象が、1980年代あたりから世界中の大都市で起きているのはご存じのとおり。ここ墨田区でも官民一体となった「ジェントリフィケーション友の会」が、今年はさらに活動を活発化させんと虎視眈々なわけだが、そういうアッパー志向の方々にとって、なにより目障りなのが隅田川流域にブルーテント村を形成している(いた)野宿者=ホームレスたちであることは想像に難くない。

そこで墨田区はアルミ缶や古紙などを、集積所から持ち去ることを禁止し、違反者には20万円以下の罰金を課す条例を制定し去年10月から施行。ホームレスの資金源を絶って追い出し(絶滅?)を計ろうという、大胆なアクションに出たのであった。

ホームレスにとって最大の生活手段を奪うことになる同様の条例に対しては、全国で反対運動が盛り上がりつつあるが、ここ隅田川沿いの墨田・台東区では、浅草に隣りあう全国最大規模のドヤ街・山谷に生きる底辺労働者、ホームレスへの支援のために結成された山谷労働者福祉会館が中心になって、去年から墨田区の条例への反対運動が続けられてきた。そのファースト・ステージをまとめるかたちで企画されたのが、去る12月12日に浅草・山谷堀公演で開催された『渋さ知らズ大オーケストラ山谷堀広場コンサート』。なんでも「渋さ」のメンバーに山谷とかかわりのあるひとがいるそうで、今回の出演が実現したとか。しかも入場料は「カンパ&投げ銭で」という、浅草らしいスタイルだ。




12月の寒空の下、公園には昼前から豚汁やカレーを売るコーナーが出て、三々五々観客が集まってくる。1時からのミニ・シンポジウムに続いて、2時から「渋さ」の演奏がスタート。日本が世界に誇る彼らのパフォーマンスを知らない方はいらっしゃらないと思うが、舞踏チームを入れて20数名のフル・メンバー、それも大ホールや大規模野外コンサートではなく、小さな公園で、こんな至近距離で満喫できる機会はなかなかない。



http://www.chikumashobo.co.jp/blog/new_chikuma_tuzuki/

戸倉上山田温泉紀行

正月休みを利用して、冬の長野をドライブしてきました。お目当ては、かつて長野市、上田市の奥座敷と呼ばれた、長野県屈指の歓楽系温泉街である戸倉上山田温泉です。


温泉の歴史とかについてはいくらでもウェブサイトがあるので、そちらを見ていただきたいですが、いまや温泉観光ホテルの廃墟が林立。その足元にはめちゃくちゃヤバそうなスナックがものすごい数並んでいて、最強にいかがわしい雰囲気。教育県というお堅いイメージしかない長野県に、こんなところが隠されていたとは!と驚かずにはいられない、ダークな桃源郷であります。



各種風俗情報によれば、その多くはタイと韓国。ちなみに長野には佐久とか須坂とか、連れ出し系のタイパブが密集している町がけっこうあって、なぜ長野なのかまったく不明ですが、一説によれば「不法滞在のアジア女性が最後に流れ着く地」だそう。ほんとでしょうか。





かつてのストリップ劇場が、いまは大衆演劇場になっている


千曲川の両岸に広がる戸倉上山田温泉郷

そういうアンダーグラウンド・エリアがあるかと思うと、千曲川岸には「戸倉メリーランド白鳥園」という、B級観光スポット好きなら感涙にむせばずにはいられない、レトロきわまる日帰り温泉施設もあります。


「芸能ニュース」コーナーに、いまは営業関係のお知らせが

もともとは昭和天皇もお泊まりになったという格式高い温泉観光ホテルだったものの、経営難から現在は千曲市直営の日帰り温泉施設となって、地元のおじいちゃん、おばあちゃんの憩いの場として愛されている次第。写真でその片鱗がおわかりかと思いますが、とにかく「時が止まった場所」というのはこういうところを言うのでしょう。

ものすごく広々とした温泉で、泉質もかなりのもの



あまりに古風な遊具。デッドストックものばかりが平気で並ぶ売店。広々とした宴会場で、持ち込みの野沢菜とかを広げながらくつろぐ仲良しグループ。壁には地元ゲートボール団体の集合写真・・・。焼き鳥やおでんを売店で買って、風呂上がりのほてったからだをビールで冷やしながら、ステージでカラオケを熱唱するおじいさんを見ているうちに眠くなってきて、座布団を二つ折りしてごろり横になって・・気がつけば外はもう暗くなって。これで入場料500円。寂れた温泉街の端っこに隠された、これがマイクロ・ニルヴァーナです!



地元愛好家の切り絵作品コーナー。残念ながら非売品

かつては昭和天皇も宿泊されたそうだが・・


給湯器と、渋すぎる薬缶コーナー





入口の片隅には岡本太郎の彫刻が、だれにも気づかれずひっそりと・・

白鳥園公式サイト: