2011年4月20日水曜日

東京スナック飲みある記


閉ざされたドアから漏れ聞こえるカラオケの音、暗がりにしゃがんで携帯電話してるホステス、おこぼれを漁るネコ・・。東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう場所。

東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。毎週チドリ足でお送りします。よろしくお付き合いを!

第11夜:足立区・北千住 毎日通り飲食店街

かつては大江戸八百八町の北端として、また日光街道、奥州街道の第一宿として栄えた千住宿。現代では立ち飲み屋に居酒屋、はたまたキャバレーに風俗と、ワーキングクラス・オヤジの聖地として、特に北千住はその名を馳せてきた。ちなみに「北千住」という地名は存在せず、足立区の北千住駅周辺を指して言われる通称で、隅田川を挟んで隣接する南千住は荒川区。いささかややこしい。

1964(昭和39)年7月ごろ、北千住駅西口からのびる駅前通りの風景。
写真右上に見える「縄筵段ボールケース」は梱包資材を販売していた店の看板。
「物資輸送の要であった北千住駅周辺では梱包資材の
需要が大きかった」(『写真で見るあだちの歩み』より)という
写真提供/足立区立郷土博物館

そんなオヤジ天国も、最近では私鉄、地下鉄の乗り入れで便利になり、丸井や東急ハンズやゴールドジムまでできたりして、ちょっと雰囲気が変わってきた。北千住の西口を降りれば、居酒屋ファンにはおなじみの名店が軒を連ね、風俗店の呼び込みが声を上げ、見上げればキャバレー・ハリウッドのネオンサインがきらめくという(ただいま節電で消灯中だが・・涙)、40代以上にはなんとも寛げる雰囲気はあいかわらずだが、ちょいと散策してみれば、とても北千住とは縁遠そうだったオシャレ・カフェやエスニック雑貨店、オーガニック・マーケットなどなど、むしろ高円寺や西荻に似合いそうなヤングなお店が、どんどん増殖中である。

この変化は東京芸大の千住キャンパス、東京未来大学、放送大学東京足立学習センター、帝京科学大学がすでに開校、さらに来年には東京電機大まで進出するという、異常なまでの大学移転ブームというか、誘致活動の成功によるところが大きい。試算によればあと数年のうちに、北千住は2万人近い学生が通学するキャンパス・タウンになるらしい。オヤジ・パラダイス、大丈夫か!? しかしいまのところは、若者系とオヤジ系がうまくミックスして、だれにとっても居心地のいい空気を醸し出している。願わくば、このまま北千住がみんなのパラダイスでありますように。

宿場町通りの入口。昼はそこそこ賑わうが、夜はご覧のとおり寂しげ

かつて東京有数の歓楽街としてスリリングな雰囲気が漂っていた北千住。
住宅街のど真ん中にこんな熟女ソープがあったりしたものだが、
この店も最近閉店してしまった

宿場町通りにも、若者系の店がちらほら目立つようになってきた

そんな北千住には当然ながらスナックも星の数ほど・・なのだが、今回ご案内したいのは「毎日通り飲食店街」。駅西口からまっすぐ伸びる商店街の大通り(北千住駅西口美観商店街)を歩くと、すぐに行き当たるのがサンロード宿場町通り商店街。それを右に折れた裏の一角が、毎日通り飲食店街だ。

L字型に折れ曲がった細道には、いかにも年季の入った小料理屋、スナックが並んでいる中に、若者向けのバーやオルタナティブ系のギャラリーもちらほら見えて、現在の北千住の縮図のよう。自動車が通り抜けられる幅もないので、昼間は静まりかえってネコぐらいしか歩いてないが、陽が落ちるころから看板に灯が入って、ドアの奥からカラオケが漏れ聞こえてくる。

毎日通り飲食店街、宿場町通り側の入口。昭和の路地のたたずまい


こちらは駅西口方面から路地を入ってきた側の入口。向かいは木造モルタルアパート。
ちょっと前までは、このへんはみんなこんな感じだった

「この通りができたのは1955(昭和30)年ごろよね」と教えてくれたのは、この通りで1983(昭和58)年から店を構えるという『小料理 幸』のしげこママ。いまや毎日通りでいちばんの古株であるしげこママによれば、「毎日飲んで、毎日来てほしい」という思いからつけられた名前だとか。

もともと千住には宿場通りを越え、日光街道を越えた先の千住柳町に「千住遊郭」として知られる赤線があった。いまでも「千住大門商店街」の名が往時を偲ばせるが、1958(昭和33)年に赤線が廃止された前後、一部の店がこの近辺に移動して青線(非合法売春地域)として営業していたこともあるらしく、しげこママの店にも、勘違いした客がよく迷い込んでは「ふざけんじゃないわよ」と追い返されたとか。

典型的な居酒屋の雰囲気をそのまま残す、時の止まったような店『だるま』

天井照明についたホコリにも年季がにじみ出てます・・

創作料理ゼロ、これが由緒正しき居酒屋のメシ

手前からしげこママ、敏子ママ、お手伝いのスエさんの仲良し3人娘

いま北千住駅の西口に降り立つと、駅前に「ミルディス」と名づけられた巨大な複合商業施設がそびえている。2004(平成16)年にオープンしたミルディスは、1番館が丸井と劇場からなる複合ビル、2番館は診療所、オフィス、マンションが入居する超高層ビル(北千住丸井は、全国でも新宿店に次ぐ売り上げを誇る基幹店舗だという)。ちなみに「ミルディス」は「MILDIX」と書き、フランス語で「1010」の意味。そう、「千住」なんですねー。こういう語呂合わせの感覚が、いくらビルが立派でもB級感を拭えない原因だと思うのですが・・・。

駅前再開発にあたっては、ミルディスに見おろされるかたちとなった毎日通り飲食店街にも、当然ながら土地売買の打診があったという。しかし「死にものぐるいで働いてきて」、この通りに5店舗もの物件を所有するまでになっていたしげこママは、「私の目が黒いうちは売りませんって、きっぱりお断りしました」。そのおかげで、こんなに昭和の香りを漂わせる飲み屋街が、無傷のまま残っているんですね。しげこママ、ありがとう!

いまはママの長女と次女がカウンターを預かる『小料理 幸』でまず一杯。それからお向かいの、しげこママの大親友の敏子ママの店『居酒屋 だるまや』に移って、もう一杯。「それじゃスナックも行くかね」と連れていってくれた『スナック かえる』から、今夜の飲み歩きを始めよう。

来週は新橋に飲みに行きます。

お花畑のような『スナック かえる』のエントランス

毎日通り飲食店街飲み歩きの旅・まずはL字型の角にある『スナック かえる』から。店の前を埋めつくす鉢植えで、ほとんど花壇状態のドアを押すのはなかなか気合いが必要だが、「ここ、私の娘がやってるのよ」と、しげこママ。えーっ、娘さん何人いるんですか! 「幸が長女と次女でしょ、ここは三女の店」というわけで、京子ママが店を守ってすでに13年目の『かえる』。

カウンターで忙しく立ち働く京子ママ

壁にはさりげなく「四十八手絵巻」が・・

演歌歌手の色紙もスナックには欠かせない

「かえる」の店名は「お客さんがまた“帰って”きますように」と

小学校、中学校から同級生という常連さんとママ

娘のがんばりを横目で見ながら、しげこママはサブちゃんの『男の涙』を熱唱

西太后になったしげこママ

別の席で歌うお客さんどうしも

すぐに仲良くなって、即席デュエットで盛り上がる!

女性客でも、すごく気軽に楽しめます

学生時代はバレー部で活躍するスポーツ少女だっただけあって、すらりと美しい姿勢で、お手伝いのフィリピーナとふたりして忙しく働いている。よく見ると、どことなく和風な意匠を取り入れたインテリアに、壁には「四十八手絵巻」まで飾ってあって、しっとりオトナっぽい雰囲気。でも常連さんだけでなく、飛び込みのひと、女性グループもけっこう来店するそうで、京子ママのさらっと気持ちいい応対が、一見さんも女性も寛げる秘訣なんでしょうね。


スナック かえる 足立区千住3-58

毎日通りの、宿場通り側とは逆の端にあるのが『呑み処 サルビア』。『小料理 幸』と1年ちがいの1984(昭和59)年にオープンというから、もう27年。春美ママは同じ足立区でまず青井、それから竹ノ塚で店をやったあと、「大家さんと同郷だった」という縁で、ここ北千住の毎日通りに移ってきた。

毎日通り入口角の『呑み処 サルビア』

「昔は毎日通りもひとがいっぱいで、どこの店でもそうでしたが、
うちも客が毎晩3回転、土曜日はぜったい朝まででしたねぇ」と春美ママ

改装で居酒屋ふうになった、明るく清潔な店内

竹ノ塚で店を開いたときに、同じビルに『欅(ケヤキ)』という店があったので、
植物つながりで店名を『サルビア』にしたのだそう

定番のおつまみに、馬刺しまである充実メニュー

こちら名物の牛すじ煮込み。煮込み激戦区の北千住でも他店に負けない味!

営業は午後4時から11時まで、土曜と
祭日はカラオケ13曲1000円のサービス!

コンパクトなスペースの店内に、もともとは「女の子をふたり入れて、ボックスも、チークダンスできるスペースもあったんですよ!」という過密設計だったが、「もう女の子を置いて店をやる時代でもないし、(マスターと)ふたりでやるにはこのほうがいいかなと思って」、3年前に思いきってスナックから「カラオケ居酒屋」に大改装。なので現在はカウンターのみの明るい店内で、名物の「牛すじ煮込み」をはじめとする手料理をつまみながら、ちゃんとカラオケも熱唱できる。これならハシゴしなくても、一軒ですみそうだ!

春美ママと、先日大手術を終えて無事退院、療養中の政雄マスター

1年前に中央線エリアから北千住に引っ越してきたという常連さんカップル。
「毎日通りって、荻窪の柳小路や吉祥寺のハーモニカ横丁と同じ匂いがするんですよね」

呑み処 サルビア 足立区千住3-58

毎日通り飲食店街とは、大通り(美観商店街)を挟んだ反対側になるのだが、北千住に飲みに来たからには最後に寄っておきたい隠れ名店、それが『スナック レジャード』だ。

開店当初は2軒長屋の1軒を借りていたが、隣の店が移転したのを
契機に1軒にした堂々たる大箱店『レジャード』

スナックというよりクラブと呼びたい、広々とした店内に驚く


大通りから一本入ってすぐ、井口病院の真ん前という、いささかスナックの立地にはふさわしくなさそうな場所に、堂々たる店構えで見落としようのない外観。50人ぐらい入れそうな、むしろクラブと呼びたい広々とした店内に、演歌歌手も営業にしばしば訪れる本格的なカラオケ・システム。しかも二重ドアに、壁には鉛埋め込み! 周到な防音設備で、外にはぜったいにカラオケの音が漏れない設計。そして1968(昭和43)年開店、今年で43年という、このあたりの「歌える店」としてはもっとも長い歴史を誇る名店だ。

カラオケは専用ステージで熱唱。デビュー前の尾崎豊も、
音響システムがよかったからかマネージャーに連れられて
練習に通っていたが、「うちはみなさん演歌のほうだったんで、
亡くなったのをニュースで見て、はじめて”このひと、
うちで練習してた子だ!”ってわかったんです」

キャンペーンで来店したとき、ママがひとりで大変な様子を見かねて、
橘あきらさんは自ら接客の手伝いをしてくれたとか

「うちはもともと女の子じゃなくて、男の子を置く店だったんですよ」と話してくれたのは、宮城県鳴子温泉出身のマサ子ママ。風俗営業の許可が下りない地域だったので、「かわりに男性スタッフをたくさん置いて。多いときには11名もいたんですよ。それ目当てに女性客が来て、それをまた口説こうと男性客も集まるというぐあいに、大繁盛したそう。「遊ぶことが大好きだった」という亡くなったご主人のアイデアで、「ホストクラブのような高級な雰囲気で、安く飲める店を目指したんです」。

昼カラオケも営業、ものすごくリーズナブルな価格設定。
「部屋でひとりでテレビ観ているよりも、お店に出て
お客さんがひとりでもお話しているほうがいいですから」、
今年は1月から二日間しか休んでいないとマサ子ママ


やはり音楽好きだったご主人は、8トラのカラオケが登場する以前に、マイクを差し込んで歌えるジュークボックスを設置。当時としてはとても珍しかったから、歌いたいお客さんで店は「夕方6時から朝6時までの営業時間が、いつも満員。(歌の)順番を待つお客さんのなかには、なんであっちが続けて歌えるんだ?と、焦れて怒り出すひともいたぐらいなんです」。

美川憲一、矢吹健、さくらと一郎、冠二郎、バーブ佐竹、内藤やす子など、錚々たる歌手たちもキャンペーンで来店、このステージで歌ったという『レジャード』。キャバレー・ハリウッドのホステスさんたちが、お客さんを連れてアフターで来たり、「だれかが歌ってると、女性のお客さんがひとりで踊っていたりして・・ほんとに楽しい雰囲気でした」と、ママは往時の思い出を語ってくれた。

キャンペーン来店時の記念写真アルバムを見せていただく。
左上は「ママと矢吹健」、左下が「ママとバーブ佐竹」、右下はもちろん・・

ママと美川憲一!

こちらはご主人(マスター)と内藤やす子!

キャンペーン中の「さくらと一郎」

深夜でもこんなにいろいろ食べられる、危険な(笑)充実メニュー



いまはママと従業員ひとりだけでがんばりながら、昼のカラオケも営業中。食事と飲み物セットで800円という超お手頃価格なので、歌の秘密練習に励みたい諸君にもぴったりかと。「それに1階で段差がないので、車椅子のお客さんでも来店できるバリアフリー設計ですし!」。

マサ子ママのおすすめ「カツサンド」、揚げたて&サクサクで超美味! 
持ち帰りも可。「翌朝、冷えたのを食べるのがまたおいしい」と言う常連さんも


場所柄、騒音には気をつかっている

「Leisured」とは「集う場所」の意味をこめて、店を設計した
建築科の先生がつけてくれたそう。外壁のタイルはイタリア製だ

年配のお客さんのなかには、店内を眺めて「昔に戻ったみたいだ、絶対改装しないで」と言うひともいるという。そのとおりです! 夜は2時まで営業なので、絶品のカツサンドを頬張りつつ、お酒と歌と昔話に浸りに行くべし。
スナック レジャード 足立区千住2-29