2010年4月29日木曜日

バイラル広告あれこれ


以前、このブログで『エクストリーム・シープ・アート』というサムスンのバイラル広告(ネットに媒体を特化させたオルタナティブな広告スタイル)を紹介しましたが、
いつもいろんなネタを教えてくれるネット目利きの友人が、またひとつおもしろいバイラル広告を教えてくれました。

とりあえず、ここに飛んでみてください。最初のロードにはけっこう時間がかかるのですが(2回目からは速い)、画面中央のナンバーがだんだん小さくなっていって、最後に動画のスタート画面があらわれます。


さらに我慢して動画を見ていくと・・・・どう? とんでもないことになってるでしょ! 最後まで見ると、「新しい動画を作ってみよう」というメッセージが出るので、指示に従って操作すれば、自分が主人公の動画があっというまにできちゃいます。

これ、Oblickというスウェーデンの、ストリーミング系のプロバイダーが流しているバイラル広告。ぜんぜん広告になってないというか、画面の端っこに小さく企業名が出ているだけというのがすがすがしいですが、発信源がニューヨークでもロンドンでも、まして東京でもなく、ストックホルムというところがまた素晴らしい。Oblick=斜めに見る、というネーミングそのままの、最高にクールなデジタル時空間デザインです。

いまや高速ネット環境と、コンピュータさえあれば、全世界が同じソフトウェアを使っている以上、知的、創造的地域格差なんて存在しないという事実を、この作品は如実に示してくれています。いまだにカネかけて、目アカにまみれた芸能人を出せばいいと思ってる日本の巨大広告代理店のひとたちは、こういうのをどう見るんでしょうねえ。

最近のバイラル広告がどうなっているかを見たくて、ちょっと調べたら、こんなのもありました。


これはアメリカのファストフード・チェイン、バーガーキングのバイラル広告ですが、なにしろつくりがすごい。画面の下にあらわれるボックスのなかに、たとえば「dance」とか、「sleep」とか、「make a sandwich」とか指示をタイプすると、画面のチキンマンがそのとおりに動いてくれるんですから! なんかロードムービーみたいな風合いもいい感じだし、「sex」とか無茶な指示を書き込むと、カメラ(というか画面)に近寄って、チッチッって指ワイパー(死語?)してくれるのもかわいいです。

もうひとつだけ、これこぞテレビじゃ放映できない、フォルクスワーゲン・ポロの傑作バイラル広告を。


テロリストが主人公という設定もすごいが、自爆しても車の外はなんともない、というオチもすごいというか・・・。こういうの探してると、ほんとに飽きないですね。というか、仕事にならなくて(涙)。しかし、その昔は「傑作コマーシャル集」なんてのが日本でもあって、それだけたくさん見てても飽きない、超短編映画みたいなテレビ・コマーシャルが日本にもたくさんありましたが、みんなどこ行っちゃったんでしょう。JUNのアヴェドン・シリーズとか、もういちど見たいですよねー。

実は日本でもずいぶんバイラル広告は出だしていますが、ニコニコ動画を使ったピザーラのサイトみたいに、なんだかオタクっぽいというか、サブカル風味のものがほとんど。たぶん、ターゲットがそんな層だと思ってるんでしょう。マーケットリサーチ、浅すぎ! だから、なかなかスウェーデンのOblickみたいな発想に行かない・・・。残念です。

HEAVEN: 広島での展覧会アップデート


先週からお伝えしているように、5月22日から広島市現代美術館で、ちょっと変わった大規模な個展が始まります。美術館のサイトでも内容の告知が始まったので、ご覧ください。


ポスターにも登場してくれている、今回の「イメージ・キャラクター」は、広島市民なら知らぬもののない超有名ホームレス、広島太郎さん。これから毎週、ボーナス・カットを1枚ずつお目にかけます! 携帯の待ち受けとかに、使ってください。

オープニング・パーティのある22日には僕のトークが、そして翌23日にはコラアゲンはいごうまんのスペシャル・ライブがありますので、こちらもご予約お早めに。

なお、これも前にお知らせしましたが、ひと足早く、先週からは同美術館内の常設展示会場にて、収蔵品によるコレクション展がオープンしています。いつもは収蔵庫のおくにしまわれたままの「むりやり寄贈モノ」(失礼!)を中心に選んだ、すごーく異例の展覧会なのですが、会場構成も作品とクレジットだけでなく、作家本人の顔写真と、その生涯を短くまとめた文章を作品の脇に添えた、すごーく異例な展示スタイルです。たとえばこんなぐあい;

竹澤丹一 TAKEZAWA, Tannichi 1907-1999

明治40年、竹澤丹一は広島市に生まれた。家は農家で、丹一少年は「気の弱い子どもで、いつも青い顔をして、腹をおさえていたので、青びょうたんといって、泣かされていた」という。小学校時代、通信簿に「甲」が並ぶなかで、ただひとつ「乙」だったのが、書き方。それを見た母が「今度はがんばりなさいよ」と言ってくれことが励みとなり、一途に努力するようになったと、後年述懐している。
昭和3年に師範学校を卒業して、最初に赴任したのが安芸郡府中小学校。その職場で出会ったのが、吉山キヨ子という女性教師である――「率直純情の女性で、なんとなしにこころ惹かれるようになりました。彼女も、そのうち私とこころが通じるようになりました。すばらしい縁談があったのに、ついに私と結婚することになりました。今日まで、結婚63年、感謝の気持ちで一杯です。中華料理好きな私のために、いつも研究しては食卓を賑わしてくれます。これが私の制作の源泉であると思います」と、妻への愛情と感謝の気持ちを、終生失わなかった。本人が亡くなる4年前に妻を失ったときには、「白蓮の花とともに散り逝きし、心やさしく真実一路の妻」と詠っている。
「書家でなく、画家でなく、芸術家でなく 米寿近く歩み来し我の足あと」と、みずからの境地を詠んで、「書でもなく、絵でもない作品」を生涯にわたって目指してきた竹澤丹一。お気に入りの赤い上着すがたで、「「わしゃ、日々よく寝て、毎食事がとてもうまい。体調も良い。これなら百歳までいけそうだ」というのが、晩年の口癖だった。86歳のときには「毎朝2時に起床してマグネタイザーを全身にかけ、からだ全体を温布摩擦します。この行事は朝晩絶対欠かすことなく、何十年もつづけています。夕食は午后3時に、パンと牛乳ですませ、午后6時半には、ベットに入りぐっすりよく眠ってます」と語っている。

とか、

高橋秀 TAKAHASHI, Shu 1930-

「わたしの祖父はもともと料亭旅館を営んでいたのですが、父が高橋写真館を福山市に開業したので、家族で移住したのです」という高橋秀。しかし父親は結核に罹って写真館を続けられなくなり、秀少年が8歳のときに亡くなってしまう。
戦時中は勤労動員となって鉄工所で働き、終戦となるころに中学卒業。職を二転三転したのち、画家になることを決意し、母の反対を押し切って昭和25年に上京」。武蔵野美術学校に入学するものの、学費が続かず半年で中途退学し、小出版社の使い走りに生活の糧を得ることになった。
翌年、独立美術協会の緑川広太郎邸に居候、制作の手ほどきを受けたのち、世田谷区に住居を構え、郷里から母を迎える――「緑川さんが家を建てた経験があるからと手伝ってくれて、先生のそばに土地を借り、自分で材木を買ってきては製材して、井戸を掘って、屋根も上げたんです」。
人形作りや絵本制作など、やはり出版関係の仕事をしていた妻と結婚して何年かしたころ、「実はおれ、これをやっていると本業の絵がだめになりそうだから、絵画制作に目鼻つくまで、収入目的の仕事は放棄するから生活の面倒をみてくれないか」と頼みこんで納得してもらい、絵画一本の道に入る。
「それでこれから、と思っていた矢先に、第5回安井賞に選ばれてしまったんです。本人としては不本意ですし、戸惑ったし、辞退すべきかどうか散々悩みました。しかし、お袋や女房はバンザイバンザイと喜んでおり、それを裏切るのもという気持と、いただけるものはもらっておくべきか、と受賞することにしました。そうしたら、すぐに画商がやってきて、安井賞作家としての絵を欲しいと言う。でも、それがもう描けなくて、描けなくて作品ができあがらない・・・。安井賞というスポットから逃げ出さなければ、行き詰まりにのたうつだけだと、悲壮な思いで日本脱出を考えました。それでそのころ、イタリアの給費額と経済指数がいちばんいいというのでイタリアを、そのイタリアでいちばんお天気がよいというので、ローマを選んだんです」。
昭和38年にイタリア政府招聘留学生としてローマに渡った高橋は、翌年からは家族も呼び寄せ、ローマを拠点に旺盛な制作活動を展開する。昭和53年には池田満寿夫監督による映画『エーゲ海に捧ぐ』の、美術監督とスチル写真も担当した――
「この時期の作品は、エロスを意識しだしたころでした。60年代後半に有機的なフォルムになり、70年代後半にかけてエロチックになっていくわけですが、有機的なフォルムからエロスに目覚めていくというか、そこに人間性というものをより感じたということでしょうか。多分にポルノ的なものにも関心があったし、それをいかに消化させていくかという部分もあった。エロックなフォルムになってきた出発というのは、もっとフォルムを膨らましたい、もっと広げたい、という膨らみ願望、それが繋がってきて女性のフォルムに近づいたということかな。膨らましたい、広げたい、大きくしたい、という無限、永遠願望からきたものです。コンセプチュアルで冷たい抽象は肌に合わないというか、わたしの生まれながらのサービス精神で、希望に膨らむ自由世界を気ままに浮遊する思いを、他人さまと共有したいという願望がエロチズムを生んだと。このエロチズムは、私にとってはヒューマニズムだなんて、無理なこじつけを言ったりいていますが・・」。
高橋秀は1989年、広島駅南口に設置された、宇宙船をイメージした噴水モニュメントによっても、広島市民に知られている。

といった感じ。「作品だけを見ろ! よけいな情報で作品を判断するな!」という、偉い評論家先生のおしかりが聞こえてくるような気がしますが、しかし! 無名の作家が作品集どころか、地元の公立美術館で、しかもコレクションに入っていても展示の機会さえ与えられないという現状では、とにかくどんなことでもいいから、まず観るひとが興味を持てるような引っかかりを作ってあげる、それで興味を持ってくれたら、その先は自分でいろいろ探してもらう、というふうにすべきだと、僕は思います。

異例ずくめの展覧会、しかも20数名の作家を「アイウエオ順」に並べるという、「ふざけてんじゃないの?」という構成ですが、見て歩き回るうちに、なんとなく納得できちゃう、そんな不思議な展示空間になっています。個展とともに、こちらもぜひご覧ください!

東京右半分:上野・アメ横リズム

東京の演歌・歌謡曲シーンを支えるレコード屋さんめぐり、最終回はある意味、東京で最強の演歌レコード店<アメ横リズム>をご紹介する。

昔ながらの米軍放出品屋に並行輸入衣料や化粧品を並べた店、食品店、さらにスポーツ用品店も次々オープンして、最近は全盛期に迫る人通りで賑わうアメ横。数年前の寂しい雰囲気は、いったいどこへいったのか。

アメ横のど真ん中、ガード下に店を構える<アメ横リズム>は、おそらく東京で1,2を争う小ささのマイクロ・ミュージック・スポットだ。道に面した売り場と、レジとストックを置いた奥のエリアをあわせても、たぶん3畳あるかどうか。外に向けてノンストップで、けっこうな音量で流している演歌の歌声がなければ、それと気がつかずに通り過ぎてしまうひとも多いのではないか。

大音量のド演歌と、やたらに貼りめぐらされたポスターや手書きのメッセージ、そして狭い入口。けっして入りやすいアプローチとは言えないこの店が、実は演歌の世界では知らぬもののない超有名店である。新人演歌歌手が挨拶回りや営業に来たりするのは当然だが、アメ横リズムには長山洋子、藤あや子、石川さゆりといった超大物までが店頭キャンペーンにやってきて、そのたびに店の前は通行止め、警察まで動員されて大騒ぎという状態なのだ。そして店主の小林和彦さんはCDやカセットを売るだけでなく、歌手デビューや楽曲のプロデュースまでてがける、マルチ演歌人でもある。

演歌を売るだけではなく、本人の人生もまた演歌そのものの、小林社長。約1万字のロング・インタビューを、たっぷりお楽しみください!

2010年4月22日木曜日

HEAVEN 広島市現代美術館で個展のお知らせ

すでにお聞きおよびの方もいらっしゃると思いますが、5月22日から7月19日まで、広島市現代美術館にて、個展を開催します。

回の『イメージ・キャラクター」となってくれた広島太郎さん。
広島の目抜き通りに、もう何十年も住みついている、名物ホームレス。
彼こそ広島の「生きたランドマーク」です!

『HEAVEN 都築響一と巡る 社会の窓から見たニッポン』と題されるこの展覧会は、20代から現在(もう50代半ばですが・・・)まで、20数年間にわたって取材してきた「ニッポンのリアリティ」を包括的に展示する、自分にとって最大規模の展覧会になります。

詳しい内容はこれから毎週、少しずつお伝えしますが、写真プリントに加えて、プロジェクションあり、さらには鳥羽秘宝館など実物展示もたっぷり用意した、充実のラインナップです! なんたって、美術館の開館以来初めてとなる、「18禁エリア」も設定されるので、そちらのほうも乞うご期待。とりあえずはチラシで会期、概要などご覧ください。

オープニング・パーティは22日の午後5時半から7時まで。そして翌23日には、なんといま最高におもしろいスタンダップ・コメディアンである「コラアゲンはいごうまん」のスペシャル・ライブイベントも予定されています。

先週のブログでもお伝えしたように、ひと足早く4月24日からは、僕がキュレーションさせてもらった、いっぷうかわった収蔵コレクション展も、同じ館内でスタートします。あわせて、ぜひご覧ください!

アサヒカメラ今夜も来夢来人で:佐賀県杵島郡江北町

佐賀県杵島郡江北町。駅前でさえ夜になれば真っ暗になってしまうほど小さな町なのに、江北町の駅である肥前山口に停まるのは、ここが長崎本線と佐世保線の分岐駅だから。

佐賀市から特急ならわずか15分。肥前山口駅を降りて、徒歩1分もかからない好立地にあるスナック来夢来人。古賀ウキ子ママが平成4年に開いて、もう18年になる老舗店だ。


東京右半分:浅草は演歌のシブヤなのか

東京の演歌・歌謡曲シーンを支えるレコード屋さんめぐり、2週目の今回は、浅草のユニークな老舗ショップを2軒、紹介しよう。

浅草・ヨーロー堂

雷門前を通りすぎてすぐ、観光客と、観光客狙いの人力車引きでごったがえす雷門通りに店を構える『ヨーロー堂』。いまの店主・松永好司さんで4代目、創業が大正元年という、とびきりの老舗だ。街のレコード屋さんには珍しく、超充実の公式ウェブサイトを見てみると、こんな「店主のプロフィール」が載っている――

1968年9月15日生まれ。浅草ヨーロー堂三代目の父と、横浜は伊勢崎町のレコード店美音堂の四女との間に生まれる。しかも両祖父とも全国レコード店組合長ということもあり、すでに将来は逃げ道のない選択肢を迫られる。浅草寺幼稚園、浅草小学校と地元で過ごす。お花祭りの時こっそり舐めた甘茶が甘くなかったのが一番の思い出。中高は新宿フジテレビ横の成城中高校。「夕焼けにゃんにゃん」全盛期のため電車内にて数々のおニャンコたちと遭遇。都営新宿線の満員電車で(故意に)新田ちゃんやジョウノウチの隣になったのが一番の思い出。先日、城之内早苗さんと(あくまで私でなく友人の話として)その話をさせて頂きました。「そういえばそういう高校生多かったわね!」の一人です。美味しいものが食べたい一心で明治大学農学部へ進学。ゼミ合宿の時、まだ品種改良中の農林332号という米が妙に美味かったのが一番の思い出。現在のミルキークイーンの原型のようです。在学中は勉強はまったくせず劇団木馬座で役者してました。当時の私を知る皆様、色々とご迷惑をおかけしました(笑)その後、大手漁業会社を経て、ヨーロー堂に半ば強制的に入社。店長として現在に至る。

店長さんの楽しいキャラがうかがえる自作プロフィールそのままに、ヨーロー堂は浅草にどっしり根を張りながら、街のレコード屋さん範疇をずいぶんはみ出した、バラエティ豊かなセレクションと、2階に設けた専用イベントスペースがウリ。ここの品揃えからは、いままで僕も個人的にずいぶん教えてもらってます。

浅草・イサミ堂

浅草の中心部から少し離れた、言問橋近くに小さな店を構えるイサミ堂。一見、ほんとにふつうの街のレコード屋さん。入口にも浜崎あゆみのポスターとか貼ってあって、どうってことない感じなのだが、実は! このイサミ堂こそ全国各地の浪曲師や落語家、愛好家、その他もろもろの昔の録音マニアのあいだでは知らぬもののない、音源聖地なのであります。

店内のおもて半分に並ぶ、ふつうのCDやカセット(それでも浪曲や落語の充実ぶりはただものではないが)が並ぶエリアを抜けて、店の奥に踏み込むと、そこは天井近くまで設えられた棚に、整然と収められたSP、LP音源のコレクション・ルーム。その真ん中に陣取って「なんか聴きたいものあったら、言ってくださいね、なんでもかけるから」と柔和な笑顔を向けてくれるのが、店主の梅若裕司さんだ。その足元にあるボックスセットは・・「あ、これね、徳川夢声の『宮本武蔵』、LP100枚セット」なんて、こともなげに教えてくれる。なんなんですか、この店!

2010年4月15日木曜日

広島市現代美術館で、ちょっとかわった館蔵展をキュレーションしました。4月24日から!

この5月22日より、広島市現代美術館で個展を開催します。2フロア、企画展エリアのほぼ全部を使った、けっこう大規模な展覧会なので、みなさまにもぜひご覧いただきたいのですが(詳細はまた後日、じっくりお知らせします)、それに先だって今月24日から常設展エリアで、美術館に収蔵されているコレクションから選んだ館蔵展『収蔵庫開帳! 広島ゆかりの作家たち 選・都築響一』を開催します。

広島に限らず、どこの公立美術館でもそうなのですが、ハイライトとなる有名作家の有名作品の陰に、収蔵庫にしまわれたまま、ほとんど展示されることのない「日陰のコレクション」がたくさんしまい込まれています。地元のしがらみとか、さまざまな理由でなかば無理やり寄贈されたり、全国的には無名の地元作家で、ほかに引き取り場所のない作品とか、とにかくめったにおもてに出ない収蔵作品が、数量から言えば美術館のコレクションの中でもかなりの割合を占めるわけです。

今回の展覧会は、そうした「陽の当たらない作品たち」に陽を当てようという、非常に珍しい企画です。考えてみればおかしなことに、どこでもハイライトのコレクションは外国や東京の作家たちで、日陰のコレクションは地元作家の作品であることがほとんどです。公立美術館とは、まずなによりもその地方の美術を活性化させることが第一目的であるはずなのに。

『収蔵庫開帳!』と題した今回の展覧会では、広島の地元作家、それになんらかのゆかりのある作家たちの作品で、なかなか展示室の壁に掛かる機会のないものを選びました。ほんとは、こういう企画を全国各地の公立美術館でやってほしいものです! だってゴッホはアムステルダムで、ピカソはパリで、ウォーホルはピッツバーグで見たほうがいいに決まってるでしょ。広島では広島の作家を見られないと。ほとんど全員、聞いたことのない作家たちだと思いますが、だからこそ見るまでわからない、というスリルが味わえるわけで。だって、本で見たことある作品ばっかりだったら、そこにはなんのスリルもないですもんね。

 すべての人間が平等であるように、すべての芸術もまた平等である・・・はずなのに、実際はそうじゃない。
 どこの美術館にも「顔」になる作品と、何十年も収蔵庫にしまわれたままの作品がある。
 どこの美術館でも「顔」になる作品は、有名で高価なものに決まっている。収蔵庫の奥に積まれたままの作品は、無名で安価なものに決まっている。
 有名で高価な作品とは、つまりほかの美術館にもあるってことだ。いろんなところにあるピカソ。いろんなところにあるウォーホル。いろんなところにある平山郁夫。
 無名で安価な作品とは、そこにしかないってことでもある。名が知られていない=業界で評価されていない=投資、投機の対象にならない=値が上がらない。「こういう作家、これこれの作品を当館はこれだけ収蔵してます!」と、美術館が宣伝しにくいコレクション。実は日本全国、どこの公立美術館も、そんな日陰のコレクションを山のように抱えている。けれど、そういう作品が「コレクション展」でクローズアップされることはまずないし、美術館の「全収蔵品リスト」みたいな分厚い資料をひっくり返さないかぎり、僕らにはその存在すら知るすべがない。そしてほとんどの場合、有名で高価な作品は外国や東京在住作家の作品であって、無名で安価な作品は地元の作家によるものなのだ。
 どこでも見られる作品ばかりを飾ってある展覧会は、どこでも出ている芸能人ばかりを並べた番組や雑誌のように、なんの新鮮味もない。いまからどんなに大金を積んでも、しょせんルーブルやメトロポリタン美術館のような“ナンバーワン”になれはないのなら、「ここでしか見られない」作品で”オンリー・ワン”を目指すしかない。だれも読んだことのない記事、だれも見たことのない写真、だれも考えたことのない本をつくろうと、あがきつづけてきた僕には、そうとしか思うことができない。そして、それを可能にしてくれるのは、ほかのどこでも見られる「顔」じゃなくて、ほかのどこでも見られないローカルヒーローたちの作品でしかないのだ。
  (ローカルヒーローであるために:展覧会カタログのための序文より)

演歌よ今夜も有難う:最終回・木曜アップ!

 昔 昔の 物語り
 神と私の お話じゃ
 若いピチピチ 可愛い私
 神は私に ラブコール
 ああ 私はおねだり お金がほしい
 遊ぶにお金を ちょうだいな

 可愛私に 貧乏神
 金が無かった 哀しいね
 若いピチピチ 可愛い私
 年齢(とし)をもらった プレゼント
 ああ ふられた神様 悔しい泣いた
 金無し 辛いと 泣いた雨
 
 雨はそれから 降ったのだ
 神の涙は 本当かな
 若いピチピチ 可愛い私
 ヘルプ シルバー 年齢(とし)を取る
 ああ 何でもするから お金がほしい
 老後もお金が かかるのよ

    『神様は泣いた』 天の川一歩:作詞作曲

東京のはずれ、足立区の団地裏の居酒屋で、入ってみると実はカラオケ喫茶&スナック、しかも朝8時に開店という店内で、ショッキング・ピンクのかつらにショッキング・レッドの口紅にショッキング・グリーンのドレスを身にまとったおばさまが、激しいアクションとともにこんなコミカルでシュールな歌を絶唱する場面に遭遇したら・・・それだけで「生きててよかった!」ってなっちゃいます。

平成12(2000)年に発表した代表曲の『神様は泣いた』が、すでに40万枚突破! 2008年には英語バージョンの『ゴットクライド』まで発売! もう15年ほども浅草東洋館で定期出演! いままで通信カラオケで配信された持ち歌が13曲! なんでこんな大物が、なんでこんな場末(失礼!)に隠れていたのかと訝りたくなる、それが知られざるビッグ・アーティスト、みどり・みきさんだ(正式には「みどり」と「みき」のあいだに、ちいさな白丸が入ります)。


去年から隔週で月にふたりずつ、20回にわたってお送りしてきた、インディーズ演歌の現在を伝えるレポート。今回が最終回になりますが、やっぱり最後ですから・・・とびきり強力なアーティストをご用意しました。東京都足立区を拠点に活動する、みどり・みきさん。すごいですよ、このひと!!!!

詳しくはロング・インタビューを熟読していただきたいのですが、彼女はもうずっと毎月定例で、浅草東洋館に出演しています。その迫力満点、ほとんど鬼気迫るステージングはぜひライブで観ていただきたい! ちなみに4月は20日の火曜日なので、みなさま万障お繰り合わせの上、浅草に走るように!!! どうしてもダメな方は、ファンによる無許可動画がYoutubeにアップされてるので、とりあえずサワリをどうぞ。でも、見たらぜったい、行きたくなります!

『許されざる者』福岡県警が自主制作の、おもしろすぎるDVD!

一部新聞や週刊誌などにも取り上げられて、知られるようになった『許されざる者』。クリント・イーストウッドの名作ではなくて、なんと福岡県警が暴力団追放のために自主制作した、啓発短編映画なんですね!

福岡といえば、いままで数々のヤクザ映画の舞台にもなった、血気盛んなお土地柄。なんとかせねばという福岡県警の意気込みが、いまから4年前の2006年、この啓発DVDの制作につながりました。報道によれば制作費は30万円。2ヶ月の期間をかけて、撮影から編集まですべて手作りでつくられたそう。出演者30人も、全員が現役の警察官と警察職員だとのこと。

4年前に制作されたときは、おもに市内の中学校、高校などで上映しようとしたらしいのですが、「あまりにリアルで刺激が強い」と敬遠され、あまり広まらなかったのだとか。こんなの見せられたら、組員の息子がイジメに遭うと、地元の武闘派・工藤會が市教育委員会に上映中止を申し入れたというのも、地元ではちょっとしたニュースになりました。

それから4年の時がたち、この4月1日に福岡県では全国で最初に「暴力団排除条例」が施行されることになり、その趣旨に協力を申し入れた地元ビデオ・レンタル店が、3月30日から無料でレンタルを開始したというのです!

本編27分50秒、もうホンモノにしか見えない迫力の、警察のみなさまによる熱演は、福岡のビデオ屋さんに行かないと見られないので、地元の方々はもちろん、出張で福岡に立ち寄られる方も、中州あたりでだらだら飲んでないで、ビデオ屋めぐりをしていただきたいですが、なんとただいま人気爆発で、常に貸し出し状態だそう。福岡県警は、150店のビデオ屋さんに3枚ずつ、DVDを配布したそうなんですが、うれしい誤算ですねえ。

福岡まで行けない!という方は、とりあえず福岡県警のウェブサイトをご覧ください。1分間の予告編が見られますが、これだけでもけっこうおもしろいですよ!

東京右半分:下町レコ屋できょうも猟盤1


東京のJ-POPをつくってきたのは渋谷で、ヒップホップをつくってきたのは裏原宿なのかもしれないけれど、東京の演歌や歌謡曲をつくり、支えてきたのは右半分の音楽ファンであり、レコード屋だ。

亀戸駅前・天盛堂

いま演歌が見直されているとか言うけれど、タワーレコードやHMVに行ったって、TSUTAYAの邦楽レンタルCDコーナーを探したって、ほんのおざなりなコレクションしか見つからない。そのいっぽうで台東区、墨田区や江東区、北区の商店街で店を開く「街のレコード屋さん」は、マスコミが押しつける”トレンド”じゃなくて、みんながほんとに聴きたい歌を、黙ってずーっとサポートしつづけてきた。

錦糸町駅前・セキネ楽器店

これを書いているいま、APPLEのiTune Storeでダウンロードの1位になっているのは、坂本冬美の『また君に恋してる』だ。こういう時代になって、いままで「ジジババの演歌」を完全無視してきたオシャレCDショップが、あわてて歌謡曲を仕入れようったって、そうはいかない。クラブDJたちが通うレコ屋はいまでも渋谷や、このところかつての勢いをなくしてしまった西新宿なのだろうが、じっくり聴き込みたい日本語の歌を探したいなら、総武線や京浜東北線に飛び乗るべきだ。今週と来週、そんな演歌・歌謡曲ならここ!というレコード屋さんたちを紹介しよう。まず今週は亀戸、錦糸町、小岩の駅前に店を開く3軒から。

小岩駅前・音曲堂

2010年4月7日水曜日

『夜露死苦現代詩・文庫版』きょう発売です!

2006年に新潮社から出版した『夜露死苦現代詩』が、筑摩書房から文庫版になりました。もともとの出版社である新潮社は、「うちの文庫には要りません」ということで・・・世の中ほんとに、捨てる神あれば拾う神ありですねえ。

新潮社版の単行本をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、文庫化にあたっては2つ、新しい章をつけてあります。ひとつは、オリジナルの刊行後に月刊『新潮』に掲載された、谷川俊太郎さんとの対談。もうひとつは石川さゆりの『天城越え』や『飢餓海峡』などを作詞した、現代日本の演歌界で僕がいちばん尊敬する作詞家・吉岡治さんのロング・インタビューです。「現代詩業界」というものの、わけのわからなさを率直に語ってくれている谷川さんの発言も興味深いし、業界の最重鎮でありながら知るひとの少なかった吉岡さんの長いインタビューはたぶん、いまここでしか読めないと思います。

モノクロながら「箸休め」写真ページもパワーアップして、全394ページ! ぜひ書店でチェックしてみてください!


東京右半分:小岩デスフェスト

東京の右半分のうちでも、いちばん右側の端っこ。この先は江戸川を挟んで、もう千葉県という江戸川区の小岩である。

最近は北口のリトルコリアがアジア食通のあいだで評判になったり、統計によれば東京23区でいま中国人居住者数がいちばん多いのが江戸川区だったりと、なかなかインターナショナルな環境でありながら、しかし街並みからはまったくインターナショナルな空気が感じられない、超ドメスティックな居心地よさがただよう街なのだ。

変態戦隊マンコラヴァー

その小岩の、もともとは音楽スタジオ兼ライブハウス<M7>で、去年からは新たにオープンしたライブハウス兼カフェレストランの<bushbash>に舞台を移して、すでに10年目、この3月27日のライブでなんと42回目という、長い歴史を誇るイベントが『小岩デスフェスト』。その名のとおりデスメタル、グラインドコアに特化した、エクストリームなライブである。

博多の豪邸ギャラリーでトーク:4月18日

創業が安政2年という老舗の醤油醸造業・ジョーキュウというブランド、福岡出身の方ならご存じでしょう。このジョーキュウが博多の中心部、大名町と呼ばれる天神西通り裏に持っているお屋敷が、最近ギャラリー&イベントスペースに改装されました。来る18日、そこでトークをやらせてもらいます。

メイン・テーマは『着倒れ方丈記』ということで、ファッションが中心のトークになりますが、実は主宰者のかたも「わたし着倒れなんです」ということで、自慢のソニア・リキエル・コレクションを、一室使ってディスプレーしてくれるそう。楽しみですねー。

トークはともかく、素晴らしい邸宅は一見の価値ありだと思うので、福岡在住の方、そのころ出張の方など、いらっしゃいましたらぜひ、早めにお申込みを! 人数は30名限定だそうですから。

日時:4月18日(日曜) 18時~20時30分予定
会場: (仮)大名本宅 福岡市中央区大名2-1-16
人数: 30名様 3千円(ワンドリンク付)
問い合わせ:sayaka@shoson.jp まで、参加者氏名・連絡先をお知らせください
主催:有限会社ショーソン(担当 松村さやか)


気になる展覧会3つほど

忙しさにかまけてるうちに、気がつけば会期終了、作家にあわせる顔なし・・・というのが、画廊展覧会の常。今週気になる、小規模だけど興味深い展覧会を3つ、紹介します。

まずは京都在住の画家・勝国彰(かつ・くにあき)。いまの現代美術のトレンドとはまったく無縁の、究極の細密描写によって、幽玄・妖艶としか言いようのない、独特な世界観を小さなキャンバスに表現しつづけている、知る人ぞ知る画家です。現代美術評論家にはぜったい取り上げられませんが、幻想絵画系ではすごく人気の高いひと。

かつて京都に住んでいたころ、勝さんのアトリエ兼住居を訪ねて撮影させてもらったことがありますが、そのとき彼は駐車場の片隅に建てられた小屋に住んで、絵に没頭してました。小屋には風呂どころか、便所も水道もなし。風呂は銭湯、便所は駐車場内の別棟の便所、茶が飲みたくなったら便所までヤカンを持って水をくみに行き、小屋のコンロで湯を沸かすという、ストイックきわまる生活でした。

いま、勝さんがどんな暮らしをしているのかは知りませんが、そのストイシズムは当時から現在まで、いささかも衰えず、むしろ純度を増しているようです。頭でっかちの現代美術展に飽きたら、こういう絵でこころを洗ってみることをおすすめします。

勝 国彰(Kuniaki KATSU)の描く絵は、妖艶な雰囲気が立ち込めています。人間の業、情念、嫉妬心、憎悪、執着といった感情を、その巧みな画力で鮮烈に放つかのように――――
 勝の作品は、緻密な描写であるイメージを私たちの目に見させながら、それだけで終わることなく、画面から匂いでるような不思議な力で私たちを包みこみます。その力とは、一体なんなのでしょうか。
 「あなたの内にある風景やその中に棲む誰かと、どこか似ていたとしたら、僕は少しうれしく思えてくるのです。」と勝は語ります。
 もしかするとその力とは、誰もが持つ人間の根源的な闇、血の中にある美しき情念を表現し、彼の血の中に流れている日本人としてのアイデンティティに導かれているのかもしれません。
 仏教美術など、日本古来の伝統文化特有の美が息づく勝の表現世界は、観るものを幽玄の彼方へといざないゆくのです。
 (2007年、Bunkamura Galleryで行われた個展の案内より)

勝 国彰 展 
4月12日(月) - 4月24日(土) 12:00-19:00 [18日(日)休 
銀座ぎゃらりぃ朋

ふたつめは、これまた独特な細密世界を展開しつづけている齋藤芽生(さいとう・めお)さん。六本木のギャラリー・アートアンリミテッドにて、4月19日から1ヶ月間。「VOCA展で佳作賞/大原美術館賞を受賞した新作「密愛村」の続編ほか、晒野団地入居案内「愛」のシリーズなど、濃密な齋藤芽生ワールドを展開します」ということです。このひとの脳内には、いったいどんなビジョンが展開しているんだろうと想像すると、ちょっと空恐ろしくなる、独特な世界観がみっちり、画面に塗り込まれています。

齋藤 芽生 『密愛村』
2010.04.19 [mon] - 05.22 [sat] 13:00 - 19:00
休廊日:日・祝・火  ※5月2日から11日まで連休
六本木ギャラリー・アートアンリミテッド

そして最後はあの秋山祐徳太子と美濃瓢吾さんによる二人展『ブリキ男と招き男』。これは濃そうです・・・、場所は東京じゃなくて、福岡県なんですが。

秋山祐徳太子は1935年生まれですから、今年75歳! しかしめちゃくちゃお元気で、バリバリ現役。いまも例のブリキ彫刻を制作したり、各所に突然現れては怪気炎を上げる毎日です。これくらい元気な「生きているポップアート世代」って、ほかにいないかもしれないですね。

その秋山さんの舎弟みたいに、よくいっしょに活動している美濃瓢吾さん。何年間も浅草木馬館に住みついて、興行を手伝いながら自分の絵を描いていた日々をつづった『浅草木馬館日記』を読んだことあるひともいるでしょう。美濃さんが描くのは福助や招き猫や、大入看板ばっかりなのですが、いつも同じモチーフでありながら、不思議に一枚ずつの味が滲み出てきます。

会場となる「トコポラ」というギャラリーは、川俣正の田川コールマイン・プロジェクトでも知られる、福岡県田川市に本館、博多中央部の赤坂にアネックスを置く、珍しいスタイル。今回の二人展は2館同時に、同時期開催だそうです。

秋山祐徳太子 美濃瓢吾 二人展 『ブリキ男と招き男』
2010年4月9日(金)〜6月27日(日)
TOKOPOLA modern art gallery
福岡県田川市大字伊田5000 TEL/FAX:0947-45-1152
TOKOPOLA ANNEXE けやき通り 
福岡市中央区赤坂3丁目6-42 2F 
TEL/FAX:092-762-1510