2010年10月28日木曜日

明暗分かれるケルンのふたつのミュージアム

ベルリンにお株を奪われるまでは、ドイツ現代美術シーンの中心だったケルン。いまケルンを訪れる美術、建築ファンが真っ先に向かうのは、完成まで600年かかった奇跡のケルン大聖堂・・・じゃなくて、そのすぐそばに2008年に完成した通称「コロンバ」—— 聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館だろう。



中世からローマ時代にまでさかのぼる遺構の上に、というか遺構を包み込むように建てられた美術館は、スイスの建築家ペーター・ズントーによるもの。徹底的にクールなデザインでありながら、古風な建築物が残る周囲の景観と意外にしっくり調和するテイストというか、繊細な素材選びと空間構成のセンスはさすがに素晴らしい。そして内部は大きな壁面に、基本的には非常に抑えた数の作品が、細心のポジショニングで展示されている。それは最高に美しい。美しいんだけど・・・作品数が少ないんですよ!


19世紀に当地で設立されたキリスト教美術協会が、多年にわたって収集してきた宗教美術コレクションに、いくつかの個人コレクションが寄贈されて、いまでは中世からヨーゼフ・ボイス、ウォーホルなどの現代美術作品まで、ドイツ有数の広範なコレクションを持つコロンバ。それをこれだけちょっとしか見せないのは・・・・個人的には納得できない、どうしても。いくらハコが素晴らしくても。


とりわけこの十数年だろうか、美術館建築が現代建築業界のなかで非常に重要な位置を占めるようになり、有名建築家による新しい有名美術館が世界各地に誕生するようになった。「どんな作品が見られるのか」ではなく、「どの建築家がつくったのか」が、いまや美術館の「格」をはかる上で最重要ポイントになった。そういう新しい美術館を、いままでずいぶん見てきたけれど、正直言って見れば見るほど違和感が募ってくる。だって美術館は、そもそも美術作品を見せる場所、空間であって、建築作品じゃないはずだ。


美術と建築の融合という、だれにも否定できない正論のコンセプトによって次々に出現する”ニュー・ミュージアム“は、しばしば作品をたくさん展示するのが難しかったり、搬入搬出に手がかかったりする。「かっこいい建築より、ただの真っ白で平らな壁をもっとたくさんくれ!」と内心思っているアーティストも、けっこういるのではないか。だって展覧会はアーティストのものであって、建築家のものではないのだから。


僕の仕事は本を作ることだけれど、そこでも同じような問題にいつも直面する。画像やテキストと、アート・ディレクションの綱引きだ。取材してきた素材をなるべくたくさん載せたい著者と、なるべく素材を絞って効果的に見せたいデザイナーのせめぎ合い。それは本作りの上で苦しくも楽しくもある健全なプロセスだが、ときとして(というか最近はしばしば)、アート・ディレクションのほうが力関係で上に立っているのではないかと思われる誌面に出くわす。かっこいいけど、なにを言いたいのかわからない誌面。字が小さすぎて読めないレイアウト。そういうのはみんな著者じゃなくてデザイナーが、大画面のモニター上で描き出した「絵」だ。


ズントーの傑作とされるコロンバの展示空間を歩きながら、僕はどうしてもそういうことを考えてしまう。もし時間があったら、グーグルで「ケルン コロンバ」をサーチしてみてほしい。検索結果にずらりとヒットするのは、そのすべてが建築ファンによるブログや記事であって、所蔵、展示されているコレクションについてきちんと語られているサイトは、ほとんど見つからない。

ケルンにはもうひとつ、比較的最近に開館したミュージアムがある。2005年にオープンしたケルン・カーニバル・ミュージアムだ。


日本ではそれほど知られていないが、ドイツ人のカーニバル好き、特にケルン、デュッセルドルフ、マインツなどライン川沿いの町で冬になるとひらかれるカーニバルには、「真面目で勤勉」というドイツ人のイメージを根底から覆しかねない、狂ったパワーがあふれている。


歴史をさかのぼれば中世に端を発し、19世紀からは現在のように何十台もの山車が繰り出すスタイルが定着したドイツ式カーニバル。多くのドイツ人が「これが楽しみで一年我慢している」と目を輝かせるいっぽう、ひとにぎりの知識人を「これがなければケルンも居心地いい町なのに」と嘆かせる、それほどケルンにとって重要な祭りである。


毎年11月11日11時11分、カーニバルは公式に幕を開け、年明けを挟んだクライマックスである2月末のパレードまで、お祭りは延々と続く。「カーニバルは積極的に参加するか、その期間中ケルンを離れているか、どちらかしかないんです。距離を置いて見てるなんて不可能」と、ケルン在住の日本人のひとりは溜息をついていた。ずいぶん以前から現地の日本人学校生徒も行列行進に参加していて、「わたしたちもむりやり仮装させられて、参加しなきゃならないんですぅ」と、日本文化会館のスタッフも恥ずかしがっていた。


そういう輝かしい(?)歴史を持つカーニバルのすべてを見せてくれるミュージアムは、ケルン中心部のすぐ外側、静かな住宅街にひっそり建っている。一見ただの倉庫。いつも観光客が群がるコロンバとちがって、外には隣棟の倉庫に用があるらしきクルマが何台か駐車しているだけ。おそるおそるドアをくぐると、だだっぴろいミュージアム内部には、やっぱりだれもいなかった。

見渡せばコロンバよりも広くゆったりした展示空間の真ん中に、巨大な山車が鎮座している。周囲にはユーモラスな行列用コスチュームを着用したマネキンの列。一段高くなった展示エリアには、19世紀から現在にいたるカーニバルの資料がずらりと並び、映画やビデオでドイツ人らしからぬ(?)盛り上がりの様子を鑑賞することもできる。安っぽいアクリルケースに詰め込まれた道化の衣装や、磁器人形や、写真やビデオをじっくり楽しんで1時間ほど滞在したあいだ、入ってきたお客さんは3人だけだった。



ケルン中心部の、すごく立派な日本文化会館でレクチャーを終えて、ご当地ビールを飲みながら話をしてみると、宴会に参加してくれたドイツ人、日本人のだれひとりとして、カーニバル・ミュージアムに行ったことのあるひとはいなかった。そしてほぼ全員が、コロンバには行っていた。




世界のそこら中で、いまこういうことが起こっている。「博物学」という輝かしき知的冒険の産物だったミュージアムは、いま、まったく別のものに生まれ変わろうと必死だ。ほとんど強迫観念のように、ひたすらインタラクティブ=観客参加型の”エデュテイメント”を目指す博物館。そして中味よりも容器ばかりが語られる美術館。

もしかして、こういうのこをを僕らは「ハコもの」と呼ぶべきではないのか。

来週はベルリンのお話を。