2010年7月21日水曜日

東京右半分:浅草木馬館に生きる旅役者の世界1

火曜日、午前11時前の浅草・木馬館前。雨の中を、たくさんのひとが開場を待って並んでいる。性別も年代もバラバラのひとたちが、黙って傘を差して。

差し入れだろうか、自分の食事だろうか、両手に重そうなビニール袋をさげているひとも多い。平日の昼間に3時間半にもなる大衆演劇の舞台を観るために、このひとたちはどこから来たんだろう。歌舞伎座や国立劇場に並ぶひととは、あきらかに毛色のちがう、雨の中を黙って並ぶこのひとたち。



大衆演劇の劇場は、基本的に月替わりで劇団の公演を組んでいる。ということは劇団からすれば、毎月別の場所で公演しなくてはならないということだ。毎月の1日から最終日か、その前日まで公演を昼・夜2回やって、そのあと舞台を片づけ、荷物をすべてトラックに積み込んで、翌月の公演地に向かう。そうして荷物を楽屋に入れて、すぐ新しい土地での舞台が始まる。夜の公演が終わって、そのあと稽古をすませたら、楽屋か舞台、ときには客席にまで布団を敷いて寝る。家族ぐるみで働いている劇団がほとんどだから、子どもたちだって毎月、新しい学校に転校だ。そういう昔ながらの旅芸人の生活が、この業界ではいまもかわらず営まれている。

この7月の木馬座にかかっているのは『劇団花車』。北九州で26年前に旗揚げした人気劇団である。座長は姫京之助と、長男の姫錦之助のふたり制。京之助座長は昭和33年に初代姫川竜之助の長男に生まれ、16歳で初舞台を踏み、初代藤ひろし劇団や藤山寛美在籍時の「松竹新喜劇」などで腕を磨いたのちに、劇団花車を旗揚げした。劇団名は故・藤山寛美の命名によるものだ。



劇団花車は29歳の錦之助から猿之助、勘九郎、14歳の右近までの美形4人兄弟でも人気を博しているが、今回はお願いして木馬館の迷路のような楽屋にお邪魔、京之助座長と、一座を陰で支えてきた奥様の夢路京母さんに、大衆演劇という特殊な世界で生きることの喜びと哀しみをお聞きすることができた。今週は姫京之助座長のお話を。