2009年9月3日木曜日

晶文社の死

出版界の不景気話には、もう飽きたって感じですが、あの晶文社が文芸編集部門閉鎖、というニュースにはびっくりというか、唖然としました。僕も以前に『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』という書評の本を出してもらったのですが、そのスタッフもみんな辞めてしまうそうです。
植草甚一を知ったのも、いまは『宝島』になっている雑誌『ワンダーランド』や、ブローティガンやディネーセンや、そのほかたくさんの文学作品で、自意識過剰なガキに決定的な影響を与えてくれたのも、ぜんぶ晶文社でした。それがこれからは、(いままでも稼ぎ頭だった)学習参考書や学校案内などに特化して、文芸書はいまある在庫を売り切って終わり、というのです。
こういうのを時代の波とか、不景気のせいにしてしまえばそれまでですが、そんなもんじゃないでしょう! 日本にどれだけ、晶文社のおかげで人生に希望を持って、時代を生き延びられた若者たちがいるか、現在の経営者はわかってるんでしょうか。
経営判断、というのは便利な言葉ですが、思うに、ひとにも死に方があるように、会社にも死に方というものがあるのではないでしょうか。これだけの知的資源を持つ出版社が、いまさら文芸書を出しても赤字で潰れるだけ、ということもないと思うのですが、かりにそうだとしても、「晶文社的知性」という宝物を失ってしまうからには、むりやり延命するよりも、走り続けて、最後に前のめりに倒れてほしい、と思ってしまうのは僕だけでしょうか。